多くの人が陥る…老後の人生で「失敗する人」に見られる「意外な共通点」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
老後に居場所をなくしていく人たち
〈老後においてひとつずつ居場所をなくしていく人は多い。 そうした人にとっての最後の駆け込み寺が役所と病院となる。役所と病院であればどんな人でも拒めない。 そして役所で「お前たちは俺の税金で生活しているんだろうが(納税額よりも受給額の方が多かったりするのは秘密だ)」と因縁をつけてみたり、名前の間違いなどのちょっとした問題を責め続けたりする。〉(『世界は経営でできている』より) 老後にどこにも居場所がなくなっている人は、果たしてどこに居場所を見つけるのか。 〈役所と病院では一応は自分の話を聞いてくれる人を見つけられる(実際には、公務員や医師といえども、こういう人の話は聞き流しているのだが)。しかし一番欲しいはずの配慮/思いやりは得られないままだ。 あるいは老後の居場所を創り出すために権力の座に固執する人もいる。社長を退いて会長になり、会長を退いて名誉会長になり、名誉会長を退いて相談役になり、相談役を退いて最高顧問になり、最高顧問を退いて名誉総裁になり……、突然社長に返り咲いたりする。相談役の人数が取締役の人数より多く、相談事が足りなくて取締役が困ったりする。 こういった人たちは自らの居場所を保持するために後継者を育てない。〉(『世界は経営でできている』より)
思いやりと居場所は奪い合うものか?
居場所を保持する・できるような人以外でも、「思いやりと居場所とが限りあるもので、誰からか奪うもの」と考えている人には「悲劇」が起こる。 〈権力の座にあった人でなくても、老後の居場所を欲して本末転倒な行動をとることがあるだろう。たとえば退職金を浪費してしまうのはその代表である。 退職金浪費型の人の典型的な行動は次のとおりだ。 まず定年退職祝い続きで何とも高揚した気分になる。それからしばらくすると一度に何千万円もの退職金が振り込まれる。お祝いの気分も持続しているので、まるで宝くじが当たったかのように感じる。同時に定年退職によって居場所を喪失したという感覚も出てくる。そこで狂ったようにお金を使って居場所を作り出す。 たとえば行きつけの居酒屋を作って毎日昼酒する。学生時代に聴いていた歌手の追っかけを始める。スポーツカーやキャンピングカーを買って全国をドライブしだす。親身になって話してくれるというだけで証券会社が勧める投資信託に手を出す、という具合だ。〉(『世界は経営でできている』より) 『世界は経営でできている』では、経営とは「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」と定義する。 誰もが人生の経営者であるという認識のうえで、思いやりと居場所をどう作るのかが問われている。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
現代新書編集部