全米へ挑む錦織の銅メダルという財産
ゴルフの松山英樹がリオデジャネイロ・オリンピックを辞退したと知った時、ウィンブルドン4回戦で敗れたばかりの錦織圭は、「松山君が出ないというのを(ニュースで)見て、僕もあんまり出たくないな……って。会うのを楽しみにしていたので」と、冗談とも本気ともつかぬ笑みをこぼした。 過去に2度出たオリンピックでは、他競技の生観戦を切望しながらも叶わぬずじまい。 それだけに、今回のリオオリンピックへと向かう前にも、錦織は「陸上を見てみたいですね。(短距離の)桐生君とも少し交流があるので」と、観戦および他競技のアスリートとの交流を心待ちにしていた。もっとも「多分、今回も無理だと……時間がないので」と寂しそうにつぶやいてもいたのだが……。 テニス界で最も格式が高く全ての選手が欲するのは、年に4回開催される“グランドスラム”と呼ばれる大会群。その下には年9大会の“ATPマスターズ1000”があり、上位選手にはこれらの大会に対し、出業義務まで課されている。リオ五輪が開催されたのは、その出場義務対象となるトロント・マスターズとシンシナティ・マスターズの合間。さらにシンシナティの2週間後には、全米オープンが控えている。過酷を極めるスケジュール、そしてリオと北米大陸間の移動時間の長さや、ジカ熱等の不安材料――それらを考慮した上で、オリンピックを見送る選手たちも決して少なくはなかった。 しかし錦織のオリンピック出場の決意は固く、その点に関してはチームスタッフたちも「相談の余地はなかった」という。 錦織の五輪出場は今回が3回目。4年に一度のスポーツの祭典は、錦織にとって「自分の成長を測る物差しのような存在」であった。だからこそ、世界トップ10となり「メダルも狙える位置にきた」今、彼はメダルを渇望していた。同時に、自分と同様に世界の頂点を目指し戦うアスリートたちとの交流も切望する。 選手村に滞在し、日本人アスリートが集う“ハイパフォーマンスセンター“にも頻繁に足を運んだ。 心残りは「(選手たちと)写真をもうちょっと撮りたかった……忘れていました」ということ。ただし自分のスマートフォンに写真が残っていなくとも、他の日本人選手のそれには、錦織との写真が多く収まっているだろう。なにしろ、開会式参列を見送った錦織が、会場に向かう日本選手団を見送りに出た途端に、多くの選手に「一緒に写真を撮って欲しい」と囲まれたというのだから。