全米へ挑む錦織の銅メダルという財産
タフな6試合を5勝1敗の戦績で終え、日本の国旗が左端のポールを滑り上がっていくその様を目に焼きつけながら、錦織の胸中には、様々な想いが入り混じっていたという。 何より大きかったのは、過去1勝9敗と大きく負け越していたラファエル・ナダルを3位決定戦で破り、メダルを手にした達成感――。 「いつもの表彰台やセレモニーとは違った空気感はありました。表彰台にあがって国旗が出てくるのは、凄く胸に熱い物がくる場面もあったので」 3位が表彰台に上がることはないテニスの世界において、銅メダルとは、最もオリンピックを感じさせる地位だったかもしれない。 だが同時に、自分の隣に立つ存在との距離感を、段差の付いた表彰台は残酷なまでに可視化する。 「(アンディ)マリーが大きく見えた……」 自らを準決勝で破り、最終的に表彰台の最も高い場所に立った世界2位が放つ威光を、錦織は隣で感じていた。さらにそのマリーの向こうには、198センチの長身ファンマルティン・デルポトロが立っている。たび重なる左手首の手術を経て、2年以上の艱難辛苦の日々を抜け銀メダルを首に掛けたライバルを、錦織は「凄まじいとしか言いようのないテニスをしていた」と、驚きと敬意を込めて評価した。 表彰式が行われたその日の夜、錦織は早くも機上の人となり、次の戦地のシンシナティを目指した。 北米に戻ってからは、自分が去った後もまだ燃えさかるリオの熱狂を名残惜しむかのように、連日、スマートフォンで可能な限りの競技を見たという。北京五輪時に同室だった卓球の水谷隼のプレーには、「かっこよかった」と感動を覚えた。卓球大国中国に立ち向かう水谷の姿に、彼はノバク・ジョコビッチやマリーという欧州の王者たちと戦う自分を重ねていたのだ。「上の選手に、あれだけ強い気持ちで切り掛かっていくのは、簡単なことではない」と錦織は言う。「切り掛かる」という表現が、コート上での彼の姿勢と覚悟……つまりは錦織圭のテニスの本質を、何より端的に言い表しているようだった。 「トロントとオリンピックで良いプレーができて、より自分の自信が高まっている中でUSオープンでプレー出来るのは幸せなこと。良い結果を残したいし、オリンピックでもそうですが、たくさんの方にテニスを見て楽しんで頂ければと思います」 全米オープン開幕を控えた会見で、錦織はそう宣言した。 オリンピックから持ち帰った「メダルのプレッシャーを乗り越え勝てた経験」や、「LINEが溢れ返るくらいになった」という嬉しい反響、そして“オリンピック仲間”たちから得た勇気――それらを胸に、錦織圭はニューヨークで、立ちはだかるライバルたちへと「切り掛かる」。 (文責・内田暁/スポーツライター)