戦後、日本が「分断国家」にならずに済んだ深い事情、「米軍による占領」と引き換えにソ連が得たもの
続いて8月9日、ソ連が対日参戦し、長崎にも原爆が投下される。 ソ連は満州、南樺太、千島列島に侵攻してきた。満州に駐留する関東軍は、すでに大部分が南方に転出していたためほとんど無力で、60万人以上もの軍人や民間人が捕虜としてシベリアに連行され、強制労働に従事させられた。 2発の原爆投下とソ連の参戦、いわば米ソの挟み撃ちによって日本はとどめを刺された。 ■南下を続けるソ連軍と、日本の「分割占領」の検討
政府は8月15日にポツダム宣言の受諾を発表し、終戦を受け入れる。 だが、ソ連軍による戦闘行為はこの後もしばらく続く。千島列島では、8月29日までにソ連軍が、北端の占守島から南端のウルップ島までの全域を占領した。 これに前後して、別の部隊が9月3日までに、北海道とすぐ接する択捉島、色丹島、国後島、歯舞群島を占領する。現在まで日本政府が「北方領土」と呼んでいるのは、この択捉島、色丹島、国後島、歯舞群島の4島だ。
ソ連は、「千島列島および歯舞群島、色丹島はソ連領である」と宣言し、1946年2月にはハバロフスク地方南サハリン州に編入した。 日本の降伏前には、ソ連、アメリカ、中華民国、イギリスの4国による日本の分割占領も検討されていた。 この構想では、北海道・東北地方はソ連、関東・中部地方と三重県、沖縄県を含む南西諸島はアメリカ、四国は中華民国、中国・九州地方はイギリスがそれぞれに単独で占領し、東京市(現在の東京都23区)は4国の共同管理、近畿地方と福井県はアメリカと中華民国の共同管理となる予定だった。
■米ソ間で東欧と天秤にかけられた日本 ドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4国による分割占領を受け、首都ベルリンは4国の共同管理とされた。 のちに米、英、仏の占領地はドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ソ連占領地はドイツ民主共和国(東ドイツ)となり、ベルリン市街のうち米、英、仏の占領地は、東ドイツ領内にある西ドイツの「飛び地」となる。 日本も分割占領を受けていれば、ドイツと同じ分断国家となった可能性があったのだ。