沖縄が誇る泡盛がユネスコ無形文化遺産へ「戦火をまぬがれた黒麹」「西のスコッチか東の泡盛か」先人の情熱が結実
泡盛の歴史は琉球王国時代にさかのぼる
琉球王国時代、泡盛造りを許されていたのは「首里三箇」と呼ばれる崎山・赤田・鳥堀の3町に 限られていた。 首里城のお膝元で王府が管轄しやすかったことに加え、この地域では泡盛造りに欠かせない水が豊富に湧き出ていた。
戦火をまぬがれて黒麹 幻の泡盛が誕生
首里三箇の一つ、崎山町に蔵を構える瑞泉酒造は、首里城・瑞泉門の側にある湧き水の名にあやかり137年前の1887年に創業した。 泡盛の無形文化遺産への登録について、佐久本武取締役は、「長い歴史の中で培ってきた高い技術が世に認められることを誇らしく感じる」と話す。 瑞泉酒造 佐久本武取締役: 黒麹菌の活用が高く評価されたのではないか。蒸留して貯蔵して飲む酒の文化は、西のスコッチか東の泡盛かと言われているくらいですから大変特異なものがある 79年前の沖縄戦では多くの酒造所が破壊され、泡盛造りの要・黒麹菌もそのほとんどが消滅したと見られていた。 しかし、戦後50年以上経った1998年、戦前に瑞泉酒造と咲元酒造から採取されていた黒麹菌2株が東京大学に保存されていることが判明した。 佐久本取締役も職人の一人として伝統の泡盛を復活させることに尽力し、翌1999年に戦前の黒麹菌による蒸留に成功した。 戦火をまぬがれた黒麹と現代の技術が掛け合わされ、幻の泡盛が誕生した瞬間だった。 瑞泉酒造 佐久本武取締役: いろんな酒の種類が増えてきている。いい意味では切磋琢磨、狭い沖縄で牌を奪い合うのではなく、県外・海外の比重が増えれば。少しキザですけど、泡盛美味くして沖縄栄えるような図式になればいいと思います 泡盛づくりの意思を受け継ぐ6代目の佐久本学社長は、長い歳月をかけて味をつないでいける泡盛の魅力は世界にも受け入れられると確信している。 瑞泉酒造 佐久本学社長: 泡盛には丸々寝かしながらというよりも、仕次ぎしながら、特に戦前は100年古酒や200年古酒があったと言われている。引き継いでいけるというのが一番の魅力で、そういうことを知ってもらえると泡盛が世界的にも続いていくのではないかなと思っています 琉球王国時代に生まれた泡盛造りの高い技術と深い味わい。戦火をくぐり抜け、沖縄に根付いてきた伝統の泡盛の名が世界に轟く。 あとがき ユネスコの無形文化遺産登録を審査する政府間委員会の会合が、パラグアイの首都アスンシオンで2日から開幕していて、議事が順調に進めば日本時間の5日午前にも登録が決まる見通し。 (沖縄テレビ)
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