ラッシャー木村「こんばんは事件」から始まった猪木vsはぐれ国際軍団 最高視聴率26%を記録した名勝負の舞台裏
「これは仕事なんだ」
そんな硬骨漢の浜口が、2度もおこなわれた1vs3マッチへの本音をぶちまけたことがあった。まさにそのマッチメイクにも携わっていた、レフェリーのミスター高橋が同席した酒席でのことだった(1983年3月21日)。 「あんなに屈辱的な試合はないだろう!」 続けて木村の強さを持ち上げた。 「実力で言ったら、猪木さんよりずっと強いんだ!」 〈そうしたら、それまで黙っていた木村さんは『平吾!』と浜口さんを本名で呼んで制して、こう言いました。『これは仕事なんだ』と〉(ミスター高橋。「FRIDAY」2010年7月27日号)……。 1993年11月6日、まだ西日も残る午後4時半より、明治大学の学園祭で、ラッシャー木村の講演会がおこなわれた。貴重な機会だと出かけた筆者は、その木村の第一声に驚いた。 「こんばんは」 時に冷笑の的にもなったその挨拶で場内を爆笑させると、木村は、以降も質疑応答を中心に、心和むトークを見せた。 「若い者へのメッセージと言われても、まだ自分が若いものですから(笑)」 「プロポーズの言葉? 男は家を一歩出れば独身ですので(苦笑)」 「『頭突きして下さい?』。う~ん……僕が負けそうだから、やめておきます(笑)」 そして、こんな質問も飛んだ。 「今までで一番恥ずかしかったことはなんですか? 例えば、猪木さんと1vs3でやって、フォールを獲れなかったこととか……」 「それは別に恥ずかしくなかったですよ」 木村は笑顔で即答し、こう付け加えた。 「それより、間違えて女湯に入った時の方が恥ずかしかったです(笑)」 2017年、ムック作成にあたり、プロレスの名勝負をアンケートで募ったことがあった。猪木vs木村のシングルマッチも多数の票を集める中、コメント欄にはこんな文字が躍っていた。 「今考えると、初登場の時から、悲哀しかなかったですよね」「国際軍を応援してたら、クラスの皆から変人扱いされたのが懐かしいです」、そして、「当時は猪木が絶対だと思い、国際軍に物も投げたりもしました。子供でした。本当にごめんなさい」……。 木村は、前述の講演会を締めるにあたり、こんなエールを残している。 「耐えて、燃えろ、と。これからの人生、大変なこともあるでしょうけど、耐えた分だけ、燃えられるよう、生きて行って下さい」 瑞 佐富郎 プロレス&格闘技ライター。主著に『アントニオ猪木』(新潮新書)等。プロレスラーのデビューの逸話を集めた新著『プロレスラー夜明け前』(スタンダーズ)が現在発売中。BSフジ放送「反骨のプロレス魂」シリーズの監修も務めている。 デイリー新潮編集部
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