実家の片付けをするときに知っておきたい! モノの整理よりも大切な整理すべきこと
私が経験した岡山の実家のケース
私の場合、もともと両親が住んでいた岡山市内の実家はしばらく空き家の状況が続き、コロナ禍になるとまったく帰れず、家財道具はそのまま放置状態でした。2022年の秋からようやく重い腰を上げて片付けに帰るようになりました。 まず、遺品や家財を見るだけのために1泊2日で3回、帰省しました。最初は妻と娘も一緒に来たのですが、半日もしないうちに飽きてしまったので、2回目からは私一人で行きました。 整理を始めると、本当にいろいろなものが出てきました。両親の結納の式次第、自分が生まれたときの臍の緒、おばあちゃんがくれたおもちゃ、同級生からもらった手紙など、忘れてしまっていた過去が真空パックされていたかのように瞬時に蘇ります。 祖父の大工道具も出てきました。祖父は大工で、実家は祖父が自分で建てたものです。最初は平屋でしたが、2階を増築したのも祖父です。建物はいまでもすごくしっかりしており、祖父の大工道具はそういう我が家の歴史の象徴です。 それらを手に取って見ると、家族の歴史をリアルに感じることができ、また自分が家族から愛されて育ったことをしみじみ再確認できました。 そういうものをできれば誰かに使ってもらったり、寄付するのもいいと思います。私も親戚に声をかけました。ただ、引き取ってくれるケースはまれで、実際はほとんどのものを捨てるしかないのが現実です。
自分のルーツを振り返る
私が普段暮らしている東京から西に700km離れた実家には自分が生まれ育った空間があり、そこを片付けるというのは自分のルーツを確認し、区切りをつけることなのだと思いました。 確かに多くのものは捨てざるをえませんが、片付けを通して家族の歴史や自分の過去、特に幼少期から実家を巣立った多感な頃までの記憶を振り返ることは、人生の後半に差しかかった自分の心にもう一度、エネルギーをチャージすることにつながりました。 私が遺品の中で残すことにしたのはまず家族の写真です。おじいちゃんが大正14年に出征したときの写真から全部残して、岡山市内に所有しているマンションに移しました。 我が家で「権利書」と呼ばれていた昭和24年におじいちゃんが実家の土地を手に入れたときの媒介契約書も残しました。 そのほか、小学校のときの通信簿など自分のルーツに関わるものも残しました。開いてみると「落ち着きがない」とか「最近は先生の話をちゃんと聞けるようになりました」などと書いてありました。 誰も住まなくなった実家のコンサルティングを行う中で多くの人が「捨てられない」とおっしゃるのはピアノです。中には「どこか倉庫を借りようかな」という話も出ます。 我が家にはピアノはありませんでしたが、ギターが残っていました。中学生の頃、さだまさしの「関白宣言」を弾いていたなとか、松山千春も弾いたことがあるなとか思い出しました。これも残すことにしました。 父親から「これはぜひ使ってくれ」と言われていたのは食堂のダイニングテーブルです。どこかの木工屋さんに作ってもらった立派なものですが、使い道がないので捨てざるをえませんでした。 吉原泰典 不動産投資家・空き家再生コンサルタント
吉原 泰典