『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』真紅に染めあげられた、シリーズの“特異点”
最も批評性をまとった「スター・ウォーズ」映画
“血脈の物語”からの決別。ジョージ・ルーカスの手を離れたシークエル・トリロジーが、これまでになかった価値観を示すこと自体は、何ら間違いではない。むしろ固定観念から解き放たれ、現代的な「スター・ウォーズ」を創造するというアプローチは、非常に望ましいものといえる。 問題なのは、前作『フォースの覚醒』があからさまにオリジナル・トリロジーのスピリットを受け継いだ作品だったゆえに、『最後のジェダイ』と整合性がとれていないように感じられてしまうことだ。懐古的な映画から革新的な映画へと、急激にハンドルを切っているのである。 なぜ、このような事態に陥ってしまったのだろうか?もともとシークエル・トリロジーの監督は、『フォースの覚醒』をJ・J・エイブラムス、『最後のジェダイ』をライアン・ジョンソン、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(19)をコリン・トレヴォロウが務める予定だった(コリン・トレヴォロウは途中で降板してしまい、J・J・エイブラムスがピンチヒッターとして復帰)。だが各自がてんでばらばらに作ってしまっては、三部作としての整合性がとれなくなってしまう。J・J・エイブラムスは開発中の『フォースの覚醒』の情報をライアン・ジョンソンに共有し、スムーズにバトンを引き継げるように配慮していた。 しかもレイを演じたデイジー・リドリーの証言によれば、J・J・エイブラムスは自分の担当作品以外の草稿も書いていたのだという。 「J・Jはエピソード7の脚本を執筆し、8と9の草稿も書いた。その後ライアン・ジョンソンがやってきて、『最後のジェダイ』を完全に書き上げた。三部作の大筋についてはある種の総意があったと思いますが、それを除けば、どの監督も自分のやり方で作品を作っているんです。(中略)ライアンはエピソード8の草稿を何一つ使っていないと思います」(*3) J・J・エイブラムスが思い描いていた三部作のトリートメントに迎合するのではなく、ライアン・ジョンソンは独自解釈による完全オリジナルの「スター・ウォーズ」を創り上げてしまった。カイロ・レンは自分の師である最高指導者スノークを倒した後に「古いものは滅びる時だ」というセリフを吐き、ヨーダはルークに、ジェダイの聖典が燃え盛るのを眺めながら、「お前はカビ臭い本の山など忘れてしまえ」と語りかけている。ライアン・ジョンソンの偽らざる想いが、これらの言葉に込められているはず。 J・J・エイブラムスは、既存のセオリーをことごとく破壊した『最後のジェダイ』の後を継いで、『スカイウォーカーの夜明け』を締めくくる羽目に陥ってしまった。シークエル・トリロジー全体を見渡せば、この作品は大きな流れを寸断してしまった不良映画かもしれない。だがあまりにも強烈なその文体は、眩いばかりの光を放っている。 おそらく『最後のジェダイ』は、最も批評性をまとった「スター・ウォーズ」映画だ。 (*1) https://www.usatoday.com/story/life/movies/2017/12/26/mark-hamill-regrets-criticizing-luke-skywalkers-character-last-jedi/983326001/ (*2) https://www.empireonline.com/movies/news/rian-johnson-even-more-proud-star-wars-last-jedi-five-years-on-exclusive/ (*3)https://www.denofgeek.com/movies/star-wars-rian-johnson-scrapped-jj-abrams-episode-viii-script/ 文:竹島ルイ 映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ディズニープラスにて見放題独占配信中 (C)2024 Lucasfilm Ltd.
竹島ルイ