本当はプンプンできなかった--アラフィフさとう珠緒の実像と「稼げなかった」絶頂期
「プンプン!」両拳を額の上に載せたあのポーズが懐かしい。90年代後半から2000年代の半ばまで、テレビでさとう珠緒を見ない日はなかった。ぶりっ子タレントとして一世を風靡したものの、いつの間にか露出は減り、現在は本人曰く“余韻タレント”としてマイペースに芸能活動を続けている。さとうが第一線から退いた背景には、何があったのか。少しずつ注目が戻り、再ブレイクの予感も漂う今、アラフィフになったさとう珠緒が語る。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル特集編集部)
「余韻タレント」で細々生きてます
「コロナで、去年まで毎年出演していた舞台も、旅番組のような地方ロケもなくなっちゃって。いやでも、コロナで仕事が減ったのか、そもそも仕事が来なかったのか、よくわかんないんですよ、“余韻タレント”なんで。イベントとか、女性を集めて美容トークをするとか、細々と仕事が繋がって、今も生きてます。こんなに余韻が続くなんて、ありがたいかぎりですよね。あはは」
48歳、アラフィフになったさとう珠緒は、そう言って笑った。 さらりと自虐を込めつつも、表情は自然だ。ああ、この人は本当に天然だったのだな、と思う。 一人暮らしを続けて、もう30年近くになる。 今年の3月、17年間寄り添った愛犬のチワワを看取り、「ペットロスからどう立ち直ったらいいかわからない」と、トレードマークの潤んだ瞳をさらにウルウルさせた。 「愛犬を失ったことが、今までで一番辛い出来事かもしれない……」 えっ? 「元事務所との泥沼裁判」と報じられた時期の方が辛かったのでは? そう尋ねると、キョトンとして顔を上げた。 「あの裁判は、私の言い分も認められたし、辛いという感じではなかったんですよね。ペットロスの方がよっぽど辛いですよ! でも裁判については、事実とだいぶ違う報道がなされて、それはちょっと残念でしたけど」
金銭トラブルから裁判へ
今もネット上に残る、元事務所との裁判に関する記事では、「2012年、元事務所社長がさとうに対して借金返済と美容外科の広告宣伝契約を破ったことで発生した損害賠償、合わせて2700万円の支払いを求めた」とある。これだけを読めば、非はさとう側にあったかのように見えるが、係争のはじまりはさらに何年も遡る。 「(元事務所の)社長さんには、10代の頃から20年以上お世話になりました。今私が余韻タレントとして生きていけるのも、彼女のおかげだと思っていて、そこは本当に感謝してるんです。今から話すことも私の思いであって、彼女には彼女の正しさや思いもあるので、一方的には話しづらいのですが……」 そう前置きをした上で、さとうは当時について話しはじめた。 「10代で最初に所属した事務所が倒産して、(元事務所の)社長さんが私だけを連れて事務所を立ち上げ、音楽系事務所の傘下に入りました。はじめは私も仕事がなかったんですけど、『超力戦隊オーレンジャー』への出演が決まったりして、少しずつ増えてきて。最初の事務所の借金を、何年もかけて返していたんですが、返済が終わったタイミングで親会社からも切られてしまいました。(元事務所の)社長さんは完全に独立することになって、他の若いタレントたちを抱えながら、マネージャー業以外の事業をはじめたりして、いろいろ苦心されていたと思います。だんだん、資金繰りがうまくいかなくなってきたみたいで、私のお給料も滞るようになりました」 バラエティ番組にCMに、連日テレビ出演していたピーク時も、周りが想像しているほどの収入ではなかったという。 「当時、ほかのアイドルやグラビア仲間と話してて、私の年収を聞いたら、みんなビックリしてました。えーっ嘘でしょ、それだけしかもらってないの?って。それまでは、他の人がどれくらい稼いでいるか知らなかったし。芸人さんがピーク時には月に何千万円も稼いでいたとか聞くじゃないですか、そういうのは正直ないんです。人生で一度もない」 絶頂期は都内の高級マンションに暮らし、その家賃は事務所が支払っていた。 「自分の月々のお給料よりも家賃が高い部屋に住んでたんですよ。それもなんだか変だなと思って、私は三畳一間でもいいから、給料を上げてください、という感じでした。どんどん会社は傾いて、お給料ももらえないし、もうやめざるを得ないという状況になったんです。(元事務所の)社長さんとは音信不通になってしまい……ようやく独り立ちして仕事ができるかなと思ってたころ、私の方が被告として訴えられてしまったんです」