船上から楽しむ瀬戸内海の歴史と多島美 「しまのわ」も21日開幕
柱島沖で黙とう
戦艦「陸奥」が沈んだ柱島沖まで向かう船内では、柱島を泊地としていた日本海軍連合艦隊にまつわるエピソードが紹介された。有名な真珠湾攻撃の暗号「ニイタカヤマノボレ」は、柱島に停泊していた戦艦「長門」から打電されたこと。そして、陸奥が沈んだ場所に到着した。船はそこで20分間停泊。陸奥の沈没について解説があった。 大和と武蔵ができるまで世界最大の戦艦だった陸奥。しかし1943年6月8日、停泊中に突然、原因不明の大爆発を起こして沈没した。一瞬のうち船体が2つになったというこの爆発には謎が多く、自然発火説、敵機攻撃説、敵の潜水艦攻撃説、スパイによる攻撃説、内部犯行説などさまざまな説があるが、いまだ真相は分かっていないという。この沈没により1121人が亡くなった。 船上から慰霊碑が立てられているという柱島が見える。船内全員で黙とうした。
陸奥記念館に到着
再び船は動き出し、周防大島にある陸奥記念館に到着した。ここでは、沈没した陸奥の引き揚げ作業によって回収された乗員の遺品や、陸奥の船首や副砲など艦体の70%が展示されている。ちなみに主砲の一部やスクリューは大和ミュージアムにある。館内には山本五十六の書も展示されていた。ボランティアガイドの話によると、陸奥の爆発によって流れた重油で付近の海は真っ黒に染まり、完全に重油が消えたのは戦後しばらくしてからだという。
海路で松山へ
そこからは船に戻り、愛媛・松山へ。松山観光港からは陸路で松山空港へ向かった。
参加したツアーはここで終了だったが、そのまま道後温泉や「坂の上の雲ミュージアム」など松山観光を楽しんでもいいかもしれない。また、出発地となった呉でも、全国でも珍しい上下水道などが整備されている屋台通りがあり、夜も楽しめる。 これまで、「海」を渡って船や鉄道でつなぐということは、いろいろな関係会社の協力が必要で、なかなかできなかったという。それが今回は広島と愛媛が海を渡ってつながるツアーが実現した。 普段、時間に追われた暮らしをしている中、船の上からゆったりと島を眺めているだけでも楽しいひと時を過ごせた。旅の新しい形を見つけられるかもしれない。