船上から楽しむ瀬戸内海の歴史と多島美 「しまのわ」も21日開幕
大和は計画から7年かけて1941年12月16日に完成。沖縄特攻作戦に向かう途中の1945年4月7日、鹿児島沖で多数の米軍機と交戦の末、沈没した。展示コーナーでは、大和の建造計画から完成、そして最期までを、本物の設計図や映像、模型などで伝えている。大和の乗員たちの展示もあり、沖縄特攻に際して家族らに宛てた遺書や手紙が並んでいる。足が止まったのは、壁一面に記された名前の前。沈没の際、3332人が乗っていたが、生き残ったのは276人。それらは亡くなった方々全員の名前だった。 大和ミュージアムの後は、海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」を見学。館の外には実際に使われていた潜水艦「あきしお」が展示されている。展示といっても全長76.2メートル、幅9.9メートルの巨大なもの。艦内も見学でき、潜望鏡や操縦席がある発令所も見て回れた。
「銀河」に乗り込んで出港
その後は洋上の旅へ。瀬戸内海汽船が運航するクルーズ船「銀河」(定員270人)に乗り込み、呉港を出発した。天気は晴れていて、船上の風が心地いい。しばらくすると、「大和のふるさと」と書かれた看板が見えてきた。この辺りは大和が建造された場所。秘密保持が徹底され、当時はトタン屋根をかけた秘密ドックだった。修理などが行われたとされる第4ドックは当時のまま残されているという。いまは穏やかなこの海に、かつて国の威信をかけた巨大戦艦が生まれたかと思うと感慨深い。頭の中で巨大な大和がゆっくりと巡航する姿を想像した。 また、海上自衛隊呉基地もあり、いろいろな艦艇が停泊している。潜水艦を見ることができる日もあるという。
さらに進むと、平清盛が沈む太陽を戻らせたという逸話が残る「音戸の瀬戸」を左手に見ながら、潮の流れが速い「早瀬の瀬戸」を通過。倉橋島と能美島、江田島を結ぶ早瀬大橋をくぐり抜けると、一面に海が広がってきた。しかしここは瀬戸内海。途中、見回すと大小さまざまな島を楽しむことができた。昼食は船内で。きらきらと光る水面と、すれ違ういくつもの島々を眺めながら舌鼓を打った。