朝鮮戦争、ソウルが3日で陥落の教訓 防衛産業強化に走る韓国の切迫感
ウクライナ戦争を機にプレゼンスを増している韓国防衛産業の強さの秘密を探る。日本とは根本的に考え方が異なる。(1)自国を守るには本格的な防衛装備が必要(2)自国で開発・製造できないと「在韓米軍の撤退」など外国の政策に翻弄される(3)他方、自国で開発・製造できれば、輸出することで他国の平和維持に貢献できる――。韓国防衛産業に詳しい、キヤノングローバル戦略研究所の伊藤弘太郎主任研究員に聞いた。 【関連画像】図表:韓国の防衛装備品海外輸出額(受注額)の推移 (聞き手:森 永輔) 韓国防衛産業が存在感を高めています。 伊藤弘太郎・キヤノングローバル戦略研究所主任研究員(以下、伊藤氏):韓国の防衛産業は非常に力を付けています。中でも、その存在感を見せつけたのは、2022年にポーランドと交わした契約です。K-2戦車980両にK-9自走りゅう弾砲648両、FA-50軽攻撃機48機など、総額25兆ウォン(約2兆6000億円)を受注しました。韓国にとっても史上例のない規模の契約でした。 同年2月、ポーランドの隣国ウクライナにロシアが侵攻。ロシアの軍事的脅威を直接感じることになったポーランドが抑止体制強化を進めたことが背景にあります。 韓国は直近の24年7月にも、ルーマニアとの間で1兆3000億ウォン(約1400億円)の契約を交わしました。内訳はK-9自走りゅう弾砲54両、K-10弾薬運搬車36台などです。 韓国の防衛産業が、こうした高い輸出競争力を持っているのはなぜですか。 日本は2022末に国家安全保障戦略を改定し、防衛装備の移転を以下の目的を実現するための政策手段と定めました。(1)力による一方的な現状変更を抑止(2)我が国にとって望ましい安全保障環境を創出(3)国際法に違反する侵略や武力の行使または武力による威嚇を受けている国への支援――。実現するためには韓国防衛産業に学んでいく必要があります。 伊藤氏:韓国と日本とでは、軍事力や防衛産業に対する考え方が大きく異なります。また、第2次世界大戦が終了してから今日に至るまでの経験の違いが背景にあります。まず、この違いについてお話ししましょう。 ●トラウマとなった朝鮮戦争 3日でソウル奪われる 第1に、韓国は1945年に第2次世界大戦が終わり植民地から解放されて以降、1950年に朝鮮戦争が始まるまでの5年間に非常に貧しい時代を経験しました*。武器を造る基盤が何もなく、小銃すら米軍から使い古しを提供してもらうありさまでした。 *=韓国の建国は48年だが、ここでは建国前と後を区別しない その間、北朝鮮はソ連(当時)から本格的な武器の提供を受け、軍事力を高めていきました。北朝鮮はT-34戦車も獲得しています。この南北間の戦力の差が、北朝鮮を率いる金日成(キム・イルソン)主席(当時)に誤算をさせ、朝鮮戦争に至りました。 韓国は、軍事力の均衡を保てなければ攻め込まれることを強く意識することになりました。 第2は、この朝鮮戦争の経験です。韓国は緒戦において大敗。わずか3日で首都ソウルを北朝鮮に明け渡す屈辱を味わうことになりました。軍事力を高めなければ、攻め込まれるだけでなく、国家存続の危機に至る。このことを韓国は肝に銘じることになったのです。 こうした経験は、自国の防衛力を高める契機になりました。具体的には、70年代に入り、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)が自主国防政策を打ち出し、推進します。74年に防衛産業の育成と韓国軍の戦力強化を図る栗谷(ユルゴク)事業を開始。この資金を賄うべく75年に防衛税を導入しました。 ちなみに韓国は自主国防政策を進める前に、米国に対し、より強力な武器を提供するよう要請しました。けれども、米国はこれを受け入れませんでした。韓国と北朝鮮がどちらも依然として武力統一を掲げており、「忘れられた戦争」となっていた朝鮮戦争が再び熱戦となることを恐れたからです。当時はベトナムがきな臭さを強めており、米国としてはアジアにおける発火点を増やしたくなかった。武器供与における米国のこの消極性も韓国の自主国防政策を促しました。