伝説のPL学園VS横浜戦から26年…いま明かされる決戦前日舞台裏 PL主将がく然「知らなかった…」
元楽天監督の平石洋介さん(44)が26日に放送されたBSジャパネクストの野球トークバラエティー「ダグアウト!!!」(木曜後10・00)にゲスト出演。今でも伝説の試合となっている1998年夏の全国高校野球選手権大会準々決勝「横浜―PL学園」戦の前夜について、その舞台裏を明かした。 【写真】1998年夏の甲子園、15回裏に左飛に倒れるPL・上重聡。投手は横浜・松坂大輔 今回、お笑いコンビ「ますだおかだ」の岡田圭右(56)とともに番組MCを務めた元日本テレビの上重聡アナウンサー(44)とはPL学園(大阪)野球部の同期で主将とエースという間柄。中学時代にプレーした八尾フレンドでもチームメートで、通っていた学習塾も一緒という親友の前とあり、リラックスしてトークも弾んだ。 そのなかで、平石さんが選んだ「PL学園事件簿ベスト3」も発表され、3位が「スゴすぎた松坂大輔」だった。 言わずと知れた“平成の怪物”こと同学年の松坂。この大エースを擁した横浜(神奈川)は1998年春夏の甲子園を圧倒的な強さで連覇した。平石主将&エース上重のPL学園(大阪)は春の選抜大会では準決勝で、夏は準々決勝でともに横浜に敗れたが、特に夏は延長17回という大熱戦。松坂と上重の投げ合いは今でも語り継がれる名勝負となっている。 そんな世紀の準々決勝。その前日のことだった。センバツ以降、打倒松坂、打倒横浜に燃えるPLナインはベスト8進出を決めると即座に学校のグラウンドへと戻った。「戻ってバッティングやるヤツいるか?」という問いにほぼ全員が手を挙げたからだった。なんとしても今度こそ横浜を、松坂を倒したい。その一心だった。 当時の様子を上重アナが解説する。 「(横浜戦は)第1試合。朝8時半からですよ。その前の日は夕方に試合が終わりました。そこから野手陣はあした松坂なんで松坂対策させてください、と。PLに戻って、後輩が10メートル前から全力で投げるそのボールを打って夜中まで。で、次の朝4時に起きてあの横浜戦に向かっている」 PLナインの熱い思い、決意が見える青春の1ページ。だが、野手陣が睡眠時間を削って懸命に松坂対策をしているころ、一人だけ違う行動をしている選手がいた。 平石さんはいう。「あれから26年。どっかのテレビで、その時、聡がえらいくつろいでたっていう話で。僕らは遅くまで練習してたんですけど…。26年たって(今年)初めて知ったんですよ」 くつろいでた? 「ワタクシ、ピッチャー上重は温泉つかってました」。そう言って両手を大きく広げ、目をつむり気持ち良さそうに温泉につかる様子をジェスチャーした上重アナ。野手陣が必死にバットを振って汗を流しているころ、一人だけ汗を温かい温泉の湯で流していたのだった。 「なんかで見た時、衝撃やったです。それ、知らなかったんです、26年間」と当時の主将、平石さん。それでも「何回投げたの?」という親友の問いに上重アナが「11回」と答えると、平石さんは「まさかの温泉効果ですね」と笑顔で納得していた。