バスの屋根に逃れた乗客、奇跡の脱出劇から20年 70キロ上流で支えた「救出」
奇跡のような救出劇から20年になる。 2004年10月20日夜、近畿を直撃した台風23号で由良川がはんらんした。京都府舞鶴市志高の国道175号が水没し、観光バスやトラックが立ち往生した。 【写真】20年前、大野ダムの水位はここまで上がった 「バスは37人乗り」「浸水し乗客は屋根に登って救助を待っている」。京都新聞本社には深夜にかけて断片的な情報が入ってきた。 朝一に見たヘリからの中継映像は鮮烈だった。泥海の中、バスの屋根に大勢の人が乗っていた。全員救出の報がにわかに信じられないほどの光景だった。 乗客たちは、どんな一夜を過ごしたのか。 当時64歳だった乗客の中島明子さんが自著「バス水没事故 幸せをくれた10時間」で振り返っている。 バスは、兵庫県豊岡市の元公務員らによる北陸旅行の帰りだった。座席まで濁流が迫る中、37人は窓の桟を足場に屋根に上がった。風速20メートルの風と大雨の中、高齢や弱っている人を真ん中に守り、自然と輪ができた。 中島さんら9人が看護師だったのも幸いした。屋根の上でも腰の辺りまで来た濁流で低体温症になって意識が遠のく人を抱き、さすり続けた。暗闇の中、平均年齢67歳だった乗客たちが肩を組み、「上を向いて歩こう」を合唱し耐えた。 極限の中、純粋たる助け合い精神や一体感を初めて知ったという中島さんは「人生の転機」になったと記す。 この救出を70キロ上流で支えたのが、南丹市美山町の大野ダムだった。バス水没の報を受け、ダムを管理する府は、限界までダムに水をためる異例の判断をした。由良川の水位を57センチ低める効果があったとされる。通常通り放水をしていれば、どうなっていたか…。 奇跡に見えた救出劇は、多くの人の思いが重なって成されていた。大野ダムには当時の経緯を振り返る展示が、今もひっそりとある。