ともにつくる「心のよすが」 犠牲院長の妹、サロン開設 加害者支援も 北新地放火3年
心の寄る辺、よすがとは何か-。令和3年12月17日に起きた大阪・北新地のクリニック放火殺人事件で、院長だった兄、西澤弘太郎さん=当時(49)=を亡くした伸子さん(47)は、そのことを深く考えるようになった。 【写真】煙を上げる大阪市北区のビル火災現場=令和3年12月17日 心療内科だった兄のクリニックは文字通り、生き方に悩む多くの患者のよすがだった。伸子さんはそんなクリニックに代わる癒やしの場を自分の手でつくろうと決意。兄も指導を受けた公認心理師の下でカウンセリングの技術を学び、資格も取った。 今年3月、兄が使っていた施設に自らのサロンを開設、「よすがのところ」と名付けた。月2回ほど1対1で話を聞く。「抱えている思いを話すことで一人でも元気になってくれたらうれしい」 ■容疑者にも思いはせ 伸子さんの活動の背景には、死亡した容疑者の男に対する思いもある。家族への事件を起こして服役後、社会的に孤立していた男の動機については、自暴自棄の末に周囲を巻き込む「拡大自殺」だったとの指摘がある。 61歳だった男の人生の中で、誰か気持ちを話せる人がいれば結果は変わっていたかもしれない。伸子さんはそんな思いから、元受刑者と対話する加害者支援の取り組みも始めた。「原因を見つめない限り更生はあり得ない。(話を聞くことで)その人自身のことをひもといていきたい」 ■「いかようにも人生はつくっていける」 伸子さんの精力的な活動に、多くの患者の支えだった兄の姿を重ねる人もいる。だが遺志を継ぐことを強く意識しているわけではないという。 むしろクリニックの院長だった兄の妹だったことをきっかけに、自身が能動的に「やりたい」と思ったことが今の形になった。事件で人生が変わってしまったことは間違いないが、「自分の選択で、いかようにも人生はつくっていける」。そう強く感じた3年間だったと実感している。 「亡くなった方のことをみんなで思い、つらさや寂しさを癒やす時間になってほしい」。そんな思いで始めたコンサートも今年で2回目。今月8日に大阪市内で開催し、伸子さんはモノリナを演奏、最後は「翼をください」を参加者全員で歌った。 会場の座席には兄の写真を飾り、当日は両親も来場した。「歌声や思いは、亡くなった方に届いたのでは。色々なことを思い出して急に泣いてしまうこともあるけど、前に進んでいきたい」(木下倫太朗)