「『源氏物語』の作者なら男からモテモテだろう」藤原道長からセクハラを受けた紫式部の"絶妙な切り返し"
■真夜中の戸 続く記事は、次の通りである。 ---------- 渡殿(わたどの)に寝たる夜、戸を叩く人ありと聞けど、おそろしさに音もせで明かしたるつとめて、 夜もすがら 水鶏(くひな)よりけに なくなくぞ 真木(まき)の戸口に 叩きわびつる 返し、 ただならじ とばかり叩く 水鶏ゆゑ あけてはいかに くやしからまし (渡殿の局で寝ていた夜、聞けば誰かが戸を叩いている。おそろしさに、私は声も出さず夜を明かした。すると翌朝、次のような歌を受け取った。 一晩中、私は泣きながらあなたの部屋の戸を叩きあぐねていました。あの、戸を叩くような声で鳴く鳥の水鶏(くいな)より、もっと激しく泣いていたのですよ 私はその場で返事を書いた。 ただ事ではない、確かにそう思わせる叩き方でしたわ。でも本当はほんの「とばかり」、つかの間の出来心でしょう? そんな水鶏さんですもの、もし戸を開けていたらどんなに後悔することになっていたでしょう) (『紫式部日記』同前) ---------- ■2人の和歌は「恋の歌」として記録された 渡殿は、紫式部が道長の土御門殿滞在中に局を与えられていた場所である。その戸を、真夜中に叩く音。それも何度も、忍びやかに、しかし性急に。男だと、紫式部はすぐに気づいた。だが怖くて逢瀬を拒んだというのである。 そして翌日の和歌のやりとり。昨夜の冷たい仕打ちを詰(なじ)りつつも、まだ未練たっぷりの男の和歌に、紫式部は切り返す。あなたを部屋に入れないで良かったと。 戸を叩いた人物が誰だったかを、『紫式部日記』は明かしていない。もちろん、彼女自身はわかっていたに違いない。翌朝の和歌はどのようにして届いたのか。そのこと一つだけでも、推測は成り立つ。 だから当然、意図して書かなかったのだ。だが、前の「梅の実」のやりとりから続けて考えれば一目瞭然だ――。そう思った読者たちは、これを道長と紫式部のラブ・アフェアと断定した。 その約二百年後の鎌倉時代(十三世紀前半)、藤原定家が撰者を務めた勅撰集である『新勅撰和歌集』は、この二つの和歌を「恋」の部に載せ、「夜もすがら」の作者は「法成寺入道前摂政太政大臣」つまり道長、返歌の「ただならじ」は「紫式部」とはっきり示している。現代にまで及ぶ「御堂関白道長妾云々」疑惑は、こうして始まったのだった。 ---------- 山本 淳子(やまもと・じゅんこ) 京都先端科学大学人文学部 教授 1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。15年、『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)で第3回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。選定委員に「登場人物たちの背景にある社会について、歴史学的にみて的確で、(中略)読者に源氏物語を読みたくなるきっかけを与える」と評された。各メディアで平安文学を解説。著書に『紫式部ひとり語り』(角川ソフィア文庫)、『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』(朝日選書)などがある。 ----------
京都先端科学大学人文学部 教授 山本 淳子