18年間の空白、アートシーンから離れても作り続けていたもの。加藤美佳が18年ぶりの個展(小山登美夫ギャラリー)で見せる新境地
アートシーンから離れても制作はやめなかった
この18年、加藤の暮らしには日々の制作、家事、育児などがあったが、かつて「椅子取りゲーム」のように熱中していたアートシーンとは距離ができていた。そのアートシーンをどのように見ていたのだろうか。 「“アート”のことを考えると自分の気持ちとは違う方向に頑張ろうとする力が働いてしまう気がして、考えないように、とにかく“アート”からは離れようとしていました。本当に申し訳ないのですが、友達の展示があっても行けなくて、精神的に見られない時期もありました」 「ひとりだと思ってやってきた」と振り返る18年だが、アートシーンから離れていたあいだも制作をやめていなかった点に加藤のアーティストとしての生き様が見えてくる。 「周りから“もう作家活動をやめたの?”とよく聞かれて、口では“やめたよ“と言うんですけどやめたとは全然思ってなくて。ただ、今回のように作品発表にたどり着けたのは本当にたまたまだという気持ちがあります。小山(登美夫)さんやスタッフの方々が辛抱強くずっと待ってくださったことも大きいです」
作品を通して誰かがそこに“生きているよ”と伝える
本展で一際大きく生き生きとした存在感を放つのは、川のような形状をした机と、その周囲に配された小さな小石のオブジェからなる《とらしっぽリバー(We call it Tiger’s Tail River, not that we’ve ever seen a real tiger)》。「カフェでも開こうか」と思い制作していた机と、「一風変わったお土産屋さんもいいかも」という気持ちで手がけたオブジェのコラボレーションだ。 「毎日石にジェッソを塗って磨いているだけですが、びっくりするような発見がよくあるんです。“修行的な時間だったの?”と友達に聞かれたんですけど全然そういうのではなくて本当に“楽しい”が小さく回転しながら続くような時間でした」 こうして日々積み重ねてきた制作だが、「ひさびさに展示をして人に見せるのはこわかったし、いまもこわい」と語った加藤。19年ぶりの展示の決心について、桜の花のエピソードともに振り返った。その決心はイスラエル・ガザ戦争の話へもつながっていく。 「毎日散歩をしている道に桜の木があって、満開の桜も素晴らしいと思うんですけど、冬の桜も好きなんです。つぼみがちょっと出て、桜の花びらの赤みを枝先にため始めたぞみたいな状態で、私の作品もそんなただの枝みたいなものかな、それなら出してもいいかな……って。あと、ギャラリーの長瀬(夕子)さんがアトリエには何回か来てくださって“これでいいよ”とおっしゃっるのはどうしてかなと思ったときに、あ、余白があるからかなって思ったんです。石の作品にも文字通りの余白があり、私の生活がぎっしり詰まっているのではない。それなら、たとえばガザ地区など遠いところに住む人がいつか石の作品を目にすることがあったら、その人の作品にもなったような気持ちで見てもらえるかもしれないなって。すごく辛いんですね、戦争のニュースを見ているのが。戦場のいる人たちことを考えますし、自分も(被害を)加える側と同じようなものを持っているかもしれないという気持ちもあります」 遠く離れた戦地、作品制作をすること、ありふれた日々や小さなことを慈しむということ、言語化できないモヤモヤなど、まぜこぜの気持ちを反映するのが、《とらしっぽリバー(We call it Tiger’s Tail River, not that we’ve ever seen a real tiger)》だ。加藤は作品名の由来のひとつでもある、数年前から数回見たというある夢の話を語った。それは、ふさふさとした巨大なトラが目の前に現れ、加藤は「あなたの中にある、日々の澱のような戦争の種のようなものを、いますべて捨てるか?」というメッセージを受け取ったというもの。それに対して加藤が「イエス」と答えると、トラはその回答に納得し、うなじ付近に加藤を乗せ、同様に「イエス」と答えたであろう老若男女とともに空中へ飛び立つ。その途中、加藤は背後に目を向け尻尾の向こうを眺めると、長い尻尾は地上の川につながり、川のそばで暮らす人々の姿が見える。そしてまた前方に目を見やると、自身がトラと一体化したことに気づくというものだ。《とらしっぽリバー(We call it Tiger’s Tail River, not that we’ve ever seen a real tiger)》の石たちは、そこで見た川の側で暮らす人々の姿も重ねられているのだろう。 「私は戦争とかそういう何かの塊を打ち消すような力があるとしたら“なんでもない日々”だと思っていて、作品を通して誰かがそこに“生きているよ”ということを言いたかった。幼い頃の息子から聞かれた“戦争の反対は?”という問いに、“今回の展示はママなりの答えです”と言ってもいいかなとは思っています」
Chiaki Noji