自公3分の2は民意と呼べるのか 「本物の野党」存在せず ジャーナリスト・田中良紹
第47回衆議院選挙は、過去最低を記録した前回の衆議院選挙の投票率59.32%をさらに下回り、52%前後の投票率になると見られる。前回の選挙は有権者のおよそ4割が棄権したが6割が投票した事で、ぎりぎりだが「民意」と呼ぶことが出来ると私は思っていた。 ところが今回は有権者のほぼ半数が選挙に背を向けた事になる。その選挙で自公が衆議院の3分の2を超える議席を獲得した事を「民意」と呼んで良いものか、私はためらいを感ずる。
国民の半数が背を向けた選挙
しかし政治は数である。選挙結果は与党が大量議席を得た事で、「アベノミクス」は国民から信任され、また過去2年間に安倍政権が進めてきた政策課題も信任されたという話になる。これからの日本は与党の思惑通りに動く事が期待されている。 大量議席を得た以上、誰も安倍総理に逆らう事はできない。安倍総理も「この道しかない」と言ってアベノミクスを突き進む。しかし大量議席には国民の半数が背を向けたという「出生の秘密」が隠されている。ちょっとでも躓けば国民の意識が急変する可能性がある。これからはなかなか面倒な政治になりそうだと私は思っている。 安倍総理は「アベノミクスはまだ道半ばだ」と言って選挙戦を戦った。これに有権者は「まだ2年しか経っていないし、そう言うのならやれるかどうかやらせてみよう」という気になった。積極的支持というより、お手並み拝見の気持ちが強いと私は見ている。 一方で棄権したのは、何が何だか分からない選挙を政治家が勝手に仕掛けたと怒りを感じた人たちである。訳が分からないから選挙に行く気にならなかった。この人たちも積極的にアベノミクスを支持する考えではない。
見えなかった野党の顔
そういう中で共産党以外の野党の顔が見えなかった。野党第一党の民主党代表の落選が野党のふがいなさを物語っている。そしてこの選挙で野党の政治家はつくづく己のふがいなさを痛感したはずだ。「解散するならいつでも受けて立つ」などと子供じみた強がりを言っていたが、自民党に代わる受け皿を作ることすら出来なかった。 今の野党は権力奪取のための権謀術数をまるで分っていない。「政局よりも政策が大事」とか言って、権謀術数を悪しきものだと考える風潮がある。しかし古今東西、政治は権謀術数である。政策は政治家でなくとも誰にでも作れる。官僚や学者はそのために存在する。しかし政策を実現させるのは政治家にしかできない。 どうやって実現するか。政策を実現するには、まずどこにどれだけの反対者が存在するかを探る必要がある。そのため心にもないアドバルーンを言って周囲の反応を見る。次に反対者を切り崩す方法を考え、なるべく気付かれないようにしながら、反対者の抵抗力を削いでいく。 そうした事をやらなければどれほど優れた政策でも実現しない。理屈を説いて賛成が得られるのならこの世に政治家は必要ない。学者や官僚にやらせれば良い話である。その政治のイロハを理解できる政治家が野党に少ないのである。 口先三寸でのし上がってきた頭でっかちが多いためか、野党協力には「政策の一致」が必要だと子供じみた事を言う。向いている方向さえ一緒なら政策的違いがあっても手を握るのが政治だと思うが、そうは考えない。だからいつまでも野党はバラバラだ。