【下山進=2050年のメディア第29回】Wikipedia三大文学『死の貝』を復刊させた女性書店員の眼力
ここで中間寄生主がいるのではないか、と研究者たちは推理する。その中間寄生主がミヤイリガイという3ミリほどの巻き貝だということがわかる。このミヤイリガイに最初の微生物は入り込み、尾翼のついた形に変態をとげ、これが人体に侵入するということがわかるのだ。水田に農民が入って感染をしてしまうことから、甲府盆地の水田を果樹園にかえることになったのは、地方病の原因がわかって以降の話だ。 河井も夢中になってその中古本を読み、新潮文庫の編集部に連絡をする。 新潮文庫は、コロナが始まってすぐに、カミュの『ペスト』を大重版してヒットさせるなど、既刊本を、売るのが実にうまいレーベルだ。 このときも、即決して、小林に連絡をとり、文庫化を新潮ですることの了解を得る。 実は、ウィキペディア三大文学で言えば、文藝春秋も「三毛別羆事件」「八甲田雪中行軍遭難事件」のそれぞれについて本を持っていた。『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(木村盛武 文春文庫)、『八甲田山から還ってきた男:雪中行軍隊長・福島大尉の生涯』(高木勉 文春文庫)。 が、今回は、まんまと新潮文庫に出し抜かれたということになる。 新潮文庫『死の貝』は1万2000部でスタートし、現在4刷の2万6000部。新潮社の営業部は、三冊を平積みにしておける特製の棚をつくり、全国の書店に配布展開をはかっている。 ■優れた作品は時をへて再評価される 200店を越える未来屋書店の中でもっとも『死の貝』が多く配本されたのが、甲府昭和店だ。昭和町は、1956年の調査でも、218名の患者を認め「地方病」に苦しんだ地域でもある。 未来屋書店甲府昭和店は、イオンモール甲府昭和の中にある。ここのイオンは総平米数が11万9000平米、甲府の唯一のシネコンもあり、それ自体が巨大な街のようだ。 3階にある未来屋書店を訪ねると、確かに大々的に展開をしていた。 「日本住血吸虫症」自体は、さまざまな対策のすえ、感染者がゼロとなり、1996年に県知事によって終息宣言がなされている。 人々の記憶はどんどん風化していくが、未来屋書店を一緒に訪ねてくれた甲府出身のNHK甲府放送局局長の藤原和昭は、小学校時代の「日本住血吸虫症」の検便検査を覚えているし、書店員の中には、子供のころ「水田に素足で入ってはいけない」と怒られた人もいた。 『死の貝』の文庫復刊は、そうした記憶を今一度鮮明に蘇らせ、寄生虫による病害を撲滅した日本人の偉業を今日に伝える役割を持つ。 そしてすぐれた作品は、出版社や書店のセンスによって、時代をへて再評価され、もう一度人々に読まれる機会があるのだということを示してくれている。 ※AERA 2024年7月1日号
下山進