「ここではきものをぬいでください」どう読む? 目の見えない精神科医が「見えていても見えないことがある」と説く理由
目が見えているからこその死角がある
文字の読み間違いだけではありません。 心理学の本にもよく載っている、ワイングラスにも向かい合う2つの顔にも見える絵、おばあさんの顔にもそっぽを向いた若い女性にも見える絵をご存じの方も多いでしょう。 そんなだまし絵じゃなくても、例えばスポーツカーの助手席で女性がハンバーガーをかじっている日常のスナップ写真があったとします。 車に興味がある人は車種に注目するでしょうし、女性に興味のある人は彼女の容姿に注目、お腹が空いている人はハンバーガーに注目します。そして自分の注目しなかったことについては後から質問されてもあまり憶えていません。 つまり「視界には入っていても見ていなかった」というわけです。このように、視覚というのは実に心の影響を受けやすい感覚。 視力が良い、悪いにかかわらず、「何に注目しているか」によって見えるものが全然違ってしまうのです。 視覚という感覚には無意識の「額縁」がついてしまうわけですね。 人は視界の中から「見たいものだけ」を額縁に入れて、心の壁に飾ります。額縁に入らなかった景色は、そこにあるのに見えていません。 あなたは見ていますか? 視界に入れているだけでちゃんと見ていないことはありませんか? 「うちの夫は、床にゴミが落ちているのに、全然拾ってくれない!」そう嘆いているのは本書の編集者の奥様ですが、それも致し方なし。 確かにゴミは落ちているのでしょうが、彼の額縁には全く入っていないのです。見えていないから拾うはずもない。その分、彼のファインダーはいつも奥様にフォーカスしている……かどうかは直接ご本人にご確認ください。 目が見えている人には見えているからこその死角があります。 しかし、その死角はなかなか自覚できません。それは決して鈍感だからではなく、そもそも見えていないものを「自分にはそれが見えていないんだ」と気づくはずはないのですから。 だからこそ、「見えているのだから、なんでもかんでも見えている。分かっている」と過信しないよう心がけましょう。視覚に障がいはなくても、自分には見えていないこともあると思っていたほうが、大切なものを見落とさずに済みます。 写真/shutterstock
福場翔太