【ウォール街回想記5】戦後の好景気から一転、初めて突入した証券不況時代
1960年代のゴーゴー時代の特色
1960年代のゴーゴー時代の特色として、コングロマリット(複合企業)が台頭し幅を利かせました。買収活動を中心に本業とは全く関係のない分野に多角化し、当時の標語として1プラス1は2ではなく、経営力をもとに、3とか4になる算定がなされました。 株価の評価が高まると、安価な企業買収を可能とし、買収するだけで当然のごとく相乗効果が求められました。例えば、株価収益率 (PER) 30倍のコングロマリットがPER10倍の会社を買収すれば、即時、その会社のPERも30倍の評価となり、3倍の価値となる錬金術です。当時一世を風靡したガルフ・アンド・ウェスタン、LTV、リットン・インダストリーズ、ITT、ウィットエーカー、テレダインなど、当時の大型企業は過去の記憶として残っているのみです。テレダインはピーク時においては150社程傘下に収めた顕著な例です。 この連載で1970年代の初期は個人営業を中心とした証券会社の大量倒産と合併が生じたことを述べました。1960年代はゴーゴー・ファンドと称する投信が爆発的に拡大した時代です。当時のファンド・マネージャーの武勇伝や栄枯盛衰も語り草となっています。 火付け役となったのは上海生まれのジェラルド・ツァイ氏でした。フィデリティ投信のファンド・マネージャーとして、7年間で285%のリターンを実現し、1965年に独立してマンハッタン・ファンドを創設。当初の募集に客が殺到し2億5000万ドルを調達し、初年度は30%上昇したものの、8年間で70%の資産を失ってしまいました。しかし、ファンド発足後の3年目に、個人的には持ち株を2700万ドルで売却し、その後も米国著名企業家として大成功を収めた人物です。 ブルマーケットの終焉となったものの、1969年までは小幅の調整を繰り返した往来相場を続けていました。すでに述べましたが、私が就職して間もなくベアマーケットに突入し、入社6カ月後にダウ平均は25%下落の700ドルとなってしまいました。その後は数度にわたり1000ドル台を目指したものの、ニューヨーク市場が1000ドル台を確実にするには12年の歳月を要したのです。