不倫報道で立教大監督を解任、上野裕一郎が初めて明かす真相「本当に申し訳ない…」「ただ、カラダの関係はない」「職を失ってハローワークに」
実現しなかった選手たちへの謝罪の場
2024年1月、箱根駅伝は実家で見ていた。 昨年よりも4つ順位を上げて14位となり、学生たちの走りに成長を感じた。一方で、部員や保護者への謝罪をする機会は、なかなか設けられなかった。解任された直後からその機会を大学に打診していたが、4年生の退寮が近づいてもその場は実現しなかった。 「彼らが卒業するまでに、なんとか謝罪したかったのですが……」 2月末、立大より保護者説明会を行う旨が伝えられ、上野は謝罪文の提出が認められた。部員と保護者への謝罪、あのことの経緯についても書いた。だが、説明会では全文が読まれることはなく、2~3行の謝罪で終わった。大学側からすれば、すでに処分が決まり、終わったことであり、これ以上、学生たちを動揺させるようなことは避けたいという配慮があったのだろう。
上野が部員たちに伝えたかったこと
上野は、部員たちに何を伝えたかったのだろうか。 「箱根駅伝に向けてやってきた中で、監督という立場で軽率な行動をとって、みんなの努力や信頼を裏切ってしまった。それに対して、申し訳なかったと謝りたかった。また、学生の中には、事実を知りたいという子もいたので、その説明責任もきちんと果たしかった。保護者のみなさんに対しても高い授業料を払って立教大に入学させて、夢と希望をもち日々勉学と陸上を両立させて頑張っている中、指導者の自分がやってしまったことに対して、きちんと謝罪をしたかったんです」 結局、4年生が卒業するまで、その場を与えられることはなかった。それでも上野が救われたのは、箱根駅伝が終わった後の部員たちの声だった。
上野を救った選手たちの声
<最初は『何やってんだ』と思いましたけど、ここまでチームを作ったのは間違いなく上野監督だったので感謝しています> <監督と一緒に箱根を目指してやってきて、最後は一緒に卒業したかったです> 多くの部員が、上野がチームを育てた手腕を認め、感謝していた。 「厳しいコメントもありましたけど、学生たちがそういう気持ちでいてくれて、僕はこの子たちと一緒にやれてよかったと思いました。でも、『本当に申し訳なかった』と、やっぱり直接言いたかったです」 上野は、その気持ちをあの日から一日たりとも忘れたことがない。 <つづく/「復帰」編へ>
(「箱根駅伝PRESS」佐藤俊 = 文)
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