不倫報道で立教大監督を解任、上野裕一郎が初めて明かす真相「本当に申し訳ない…」「ただ、カラダの関係はない」「職を失ってハローワークに」
箱根駅伝予選会は「見られなかった」
その日、上野は友人宅にいた。 「テレビがついていたのですが、さすがに見られなかったです。やっぱり、直前に自分が不在になって申し訳ない気持ちが強くて、テレビの音声だけを聞いていました。これで予選敗退したとなると全部、自分の責任ですから、もう祈るような気持ちでした」 解任された時、チームはすでに調整期間に入っており、練習計画にはそれほど影響が及ばなかった。選手のメンタルだけが心配だったが、「レベル的には予選突破するだけの力がある」と上野は見ていた。選手は練習で培ってきた力を発揮して6位で通過し、難局を乗り越えた。
去る人、手を差し伸べる人
その後も上野は自宅に戻れず、実家に帰ることも考えたが、迷惑が及ぶことを考え、友人が都内に所有するマンションで生活することになった。監督時代、上野をサポートあるいは支持してくれた人は、波が引くように去っていった。身内のように思っていた人にさえ、「俺は注意していたからな」と冷たく言われ、関係を遮断された。 「自分がやらかしたことなので当然ですけど、みんな、いなくなりました。お互いに信頼関係が築けていたと思っていただけに、それはやっぱり辛かったです。ただ、去る人がいれば逆にサポートしてくれる人もいて、そこは本当にありがたかったです。彼らがいなければ、僕は今、走っていたかどうかわからないです」
妻から「バイトでもいいから働いてほしい」
マンション住まいになり、上野はハローワークに足を運んだ。 「職を失い、妻に『バイトでもいいから働いてほしい』と言われ、家族を養わないといけないと思ったので、ハローワークに通いました。仕事は、運転ができるし、ドライバーはけっこう稼げるので配送業がいいかなと思いつつ、自分が携わって来たスポーツ関係の仕事を探していました」 マンションに戻ると、頭に浮かぶのは陸上のことばかりだった。なんとか、陸上をもう一回やれないか。ただ、一方で「監督が女子部員に手を出した」という事実は重い。指導者の芽はもうなく、自分は陸上界に戻れないだろう――。そう思うと、陸上一筋の人生だったゆえに猛烈な後悔と寂しさを感じた。
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