神野美伽「42歳で引退を決意したブギの女王・笠置シヅ子さん。〈自分が最も輝いた時代を自分の手で汚すことはできない〉。その美学にも共感して」
◆笠置シヅ子さんのケジメの付け方 そういった意味で、いま私は、笠置シヅ子さんの歌手としてのケジメの付け方にとても興味があります。何を感じ、何を考え、どのような心情で歌手を廃業されたのか。 笠置さんが歌手を廃業なさったのは彼女が42歳の時でした。 大晦日のNHK紅白歌合戦の舞台、しかも大トリとして「ヘイヘイ・ブギー 」を歌ったことが形(カタ)としての彼女自身のケジメだったのだと思います。 20歳の時に吹き込んだ、「恋のステップ」から22年程の歌手人生であったということです。 しかしその22年の中には、戦争があり、愛する家族や恋人との死別があり、愛娘の出産があり、それでも数え切れないほどのヒット曲があり、数え切れないほどのステージで歌い、数え切れないほどの映画で演じる、まるでジェットコースターのような日々が歌と共にあったのでしょう。 時間の長い短いではなく、笠置シヅ子という歌手は鮮やかにその時代を生きたのです。私は以前、「時代が笠置シヅ子を求めた」というように書いたことがありますが、笠置さん自身は時代のため、人のためなどではなく、強いて言えば愛娘のエイ子さんのため、何より湧き上がって来る「自己表現欲」を昇華させたいために歌ったのだと思います。 その表現の欲は服部良一先生も同じくで、お二人はまるで二人で一つの人間のようなひと時代を生きておられたのではないでしょうか。 御子息の服部克久さんが「親父さんにとって笠置シヅ子は、もしかしたら自分の一部なのかなぁ」と、のちのインタビューで話していらっしゃる通り、どちらかが欠けても和製JAZZという素敵な音楽は生まれていなかったのではないかと思います。
◆独自ジャンルに夢が持てなくなった? 笠置さんは、ご自分の歌手廃業の理由を「動いて歌ってこその笠置シヅ子」「太り始めてそれが出来なくなったから、プッツリとやめた」とテレビのインタビュー番組で話していらっしゃいます。 「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」と。 いかにも、努力家で責任感が強く、一途で潔く、自分にも他人にも厳しいと言われた笠置シヅ子さんらしい表現だと感じます。 根っからの潔癖症、と言ってしまうと語弊があるのかも知れませんが、人の生き方にはそのような「生理的要素」も十分に関係していると私は思います。私自身がそうだから、妙に納得がいくのです。 そして、笠置さんは、ただ踊れなくなったからというだけで、歌手を廃業したわけではないと思います。もちろん、それも1つの要因であったことに間違いないのでしょうが、そのことよりも彼女は、服部良一先生と一緒に作り上げた「ブギー・和製ジャズ」いう独自のジャンルの先にもう夢を持てなくなってしまったのではないでしょうか。それが歌をやめる一番の理由であったのではないかと、歌手ゆえに私は考えてしまいます。 自分の歌、自分の音楽に対して誰よりも自分自身が興味を持ち、そこに夢を持っていてこそ歌手というものは歌を歌い続けることができるのだと身を以て感じています。 もし、笠置シヅ子さんという歌手が「ブギー・和製ジャズ」の他に、別の音楽の世界を持ち合わせていたならば、42歳という年齢で歌手を廃業するという話にはなっていなかったのではないかと思ったりもしますが、そのような事は、御自身が一番よく分かっていらっしゃったに違いありません。その上で、廃業という選択であったのだと思います。
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