トライアウト参加の元阪神・藤原が掛布2軍監督と涙の約束
明日、10日に静岡の草薙球場で開催される12球団合同トライアウトに参加予定選手の中に阪神を自由契約になった左腕、藤原正典(27)の名前があった。かつて背番号「15」をつけ左キラーとして輝いた左腕だ。 実は、今回のトライアウト参加の裏には、引退との葛藤を含む知られざる物語がある。 藤原は、県岐阜商から立命大に進み関西学生リーグで最終優秀投手を2度、獲得するなど注目選手として2009年のドラフト2位で阪神に入団。ルーキーイヤーは、貴重な左の中継ぎとして24試合に登板し、1勝0敗、防御率3・60の成績を残した。小気味の良さが持ち味で、ストレートと左打者の手元に食い込んでいくスライダーのキレで勝負した。翌年もワンポイントとして重宝されたが、2012年は、1軍登板はわずか5試合、2013年は開幕1軍をゲットしたが、制球力の安定という課題を抱えたまま、2014年、2015年の2年間は1軍出場がなかった。6年間のプロ生活で、1軍での通算成績は、58試合で1勝0敗、4ホールド、防御率3・12だった。 今秋のフェニックス・リーグでは、9試合に登板、15回で失点は、わずかに「1」。1軍の中継ぎ左腕が不足している阪神の状況を考えると、現場では、来季への期待感も高まっていたが、藤原に待っていたのは、選手契約を解除して育成契約にするという厳しいオファーだった。 藤原は、その席で「今年を勝負の年だと考えて目一杯やりました。それで育成という評価ならば、それまでということ。もう辞めます」と答え、育成契約を断り、静岡で行われるトライアウトには、家族や両親を呼び、引退試合として投げる旨を球団側に伝えたという。 掛布雅之2軍監督(60)は、同じく育成契約となった一二三慎太外野手(23)も含めて、2軍監督就任後に、現在の2軍メンバーの来季の編成を聞かされた。藤原の自由契約になった事情を知って、すぐさま本人の携帯に電話を入れた。フェニックス・リーグでの登板を目の前で見て、掛布2軍監督も、藤原の復調に手ごたえを感じとっていたからだ。 藤原は、「掛布2軍監督の下でもう一度頑張りたかったです」と涙ながらに話し、掛布2軍監督も、もらい泣きをして涙腺が緩んだという。そして掠れた涙声で、こんな注文を藤原に出した。