『新宿野戦病院』元軍医ヨウコが見せた“生”への執着 宮藤官九郎が描く等身大の歌舞伎町
先週の第1話から、ありとあらゆる“歌舞伎町的”な要素を詰め込めるだけ詰め込んで、かなりカオスな空気感をただよわせた『新宿野戦病院』(フジテレビ系)。7月10日に放送された第2話では、このドラマが持ち合わせているトーン自体は変わらないものの、驚くほどわかりやすく一本の筋を通している。それは、オーバードーズで運び込まれてきた少女に対して、またホストにハマって貢ぐことでしか自分の存在意義を見出せない女性に対して、いずれも元軍医として戦地でいくつもの死を目の当たりにしてきたヨウコ(小池栄子)がかける“生”への執着のようなものに他ならない。 【写真】啓三(生瀬勝久)と話す亨(仲野太賀) このヨウコというキャラクター、不自然な英語と日本語(コテコテの岡山弁)を混在させて一気にまくし立てるようにしゃべる圧の強いキャラクターであり、その一方で極めて実直であり、どこまでも人間くさい部分を隠さない。日本の医師免許を持たないまま聖まごころ病院で働き始めた彼女は、病院の2階で寝泊まりをするようになったわけだが、先述の運び込まれてきたオーバードーズの少女とペヤングを食べる一連のシーンで、たしかにこの現代の歌舞伎町という街にヨウコという人物が存在する意味が明確にあらわれている。 しかもこの一連、少女に対してなぜオーバードーズをしたのかとヨウコは英語で訊ねるのだが、少女は特にひっかかりを覚えるわけでもなく普通に日本語で回答する。そしてヨウコは出会ったばかりの少女に対してはっきりと「オメエ死んだらぼっけえ悲しい」と岡山弁で伝え、そこまでの英語で話していた内容が少女に通じていなくとも確かに届いていることが容易に窺える。それは別のシーンで白木(高畑淳子)が堀井(塚地武雅)の性別について「どっちでもいいし気にしたことがない」と言っていたのと同じように、言葉もまた、その本質が相手に届きさえすればなんだっていいのである。 それにしても今回のエピソードにおいては、いうまでもなく現在の歌舞伎町を象徴する社会問題のひとつと化している“トー横キッズ”の存在を、また我を忘れるほどホストにのめり込んでしまう女性の存在を、決して透明化させることなく、毅然と歌舞伎町で生きる者の一人として描写したことに意味があるといえよう。 もちろんこのドラマが宮藤官九郎の脚本であり、ある特定の土地にたむろする少年少女たちを描写するとなれば、自ずと池袋西口公園に黄色を身につけて集っていた若者たちを想起してしまうのだが、それから24年後の歌舞伎町に集う若者たちは徒党を組むわけでもなく、積極的でもなく、何かから逃れるために歌舞伎町にやってくる。結果的にそこに集っていても、それはやはり彼らにとっての居場所ではない。あくまでもそんな彼らの姿を場末の病院なり、NPO団体なりといった大人の目線から見つめるこのドラマは、そこに何らかのアンサーを導き出すことができるのだろうか。
久保田和馬