「生きてたのか」山口組組長射殺の指示役逮捕 山一抗争、銃撃された捜査員36年目の独白
昭和60年に発生した暴力団「山口組」の竹中正久・4代目組長射殺事件に関与したとして、殺人容疑で指名手配された男が今年9月、長崎県警に名誉毀損(きそん)容疑で逮捕された。事件は公訴時効が成立しているが、山口組トップの射殺や、それを機に激化した山口組の内紛「山一抗争」を知る関係者の間には衝撃が走った。抗争に巻き込まれ、生死の境をさまよった兵庫県警の元捜査員もその一人。当時の記憶をたどり、今も繰り返される抗争事件への危機感をあらわにした。 「制服を着た警察官に銃を向けないなどと甘くみてはいけない」 暴力団は一般市民や警察を巻き込まない-。そんなまことしやかな風説に、元兵庫県警幹部の岡田智博さん(60)は自身の体験を踏まえ、警鐘を鳴らす。 岡田さんが県警に入ったのは、竹中組長が射殺された翌年の昭和61年。射殺事件をきっかけに、山口組と同組を離脱した一和会との抗争が激しさを増し、各地で発砲事件が相次いでいた頃だ。 岡田さんが配属された東灘署管内には一和会の山本広会長宅があり、署員らが警備にあたっていた。当初は機動隊のバスが置かれ、10人ほどで組まれていた態勢は徐々に縮小。63年5月には2人態勢となっていた。 ■手に燃えるような激痛 同月14日未明、岡田さんはパトロール中に会長宅付近で警備中の署員と合流。パトカーに乗り込んで業務報告をしていると、後方から足音が聞こえてきた。 「お前らどこ行くんや」。後部座席の先輩巡査が呼び止めると、男が車窓の隙間から釣竿のようなものを差し入れてきた。次の瞬間、体が吹き飛ぶような衝撃を受け、手に燃えるような激痛が走った。「殺されてしまう」。動転して拳銃を抜くこともできず、無線で応援を要請する先輩の声が遠くで聞こえたところで記憶は途切れた。 右耳付近と右手などを計3発撃たれた岡田さん。医師からは「1センチずれていたら死んでいた」と告げられた。車内にいた先輩らも背中や腹部を撃たれ、生死の境をさまよったという。 数カ月の治療とリハビリの末に復帰すると、署長からは警察職員への転向を勧められたが、「犯人を取り逃した」との責任感から固辞した。当時24歳。30歳で家業を継ぐという話もあったが、市民の安全を守り抜くと覚悟を決め、洲本署長などを歴任して今年3月に退職するまで警察官人生を全うした。