加藤和彦のいったい何がそんなに凄かったのか 映画「トノバン」に表れる先進と諧謔と洗練
その他でもアコースティック・ギターの奏法や、コードワークや、はたまたPAシステムの導入など、やることなすことが先進的で、その一つひとつが、のちの音楽シーンに多大な影響を残した。 次に「諧謔性」を挙げたい。「かいぎゃくせい」=わかりやすくいえばユーモア感覚。特に『帰って来たヨッパライ』のような曲を生み出し、またライブではコントや漫才まで披露していたフォークル時代は、音楽とユーモアが同じバランスで前面に出ている感じがする。
もう1つ挙げれば「洗練性」だ。「先進性」「諧謔性」があっても、加藤和彦の音楽は、最終的な手触りが、何というかサラッとしている。おしゃれでファッショナブルで、絶対に暑苦しくならない。 「先進性」「諧謔性」「洗練性」――これをさらに一言でまとめると「自由」だ。加藤和彦はつまるところ、徹底して「自由」の人だったと思う。 ■若き拓郎をあっと驚かせた加藤和彦 この連載では2年前に、「『吉田拓郎』のいったい何がそんなに凄かったのか」という記事を寄せた。少し長いが引用する。登場人物は1970年の若者たちだ。
――彼(女)らには、歌謡曲や演歌、GS、カレッジフォーク、反戦フォークなどが、どうもしっくりと来ない。そこに吉田拓郎という青年がやってきて、これまでに聴いたこともないようなコトバとメロディで歌い出した。若者たちは熱狂した。熱狂するだけでなく、自らもギター片手に吉田拓郎の歌を歌い始めた。荒れ地は肥沃に耕され、新しい若者音楽の陣地となった。 その吉田拓郎にアコースティック・ギターの名器=ギブソンJ-45を譲り、『結婚しようよ』(1972年)のサウンドプロデュースを手がけ、アイデアフルな音作りで、若き拓郎をあっと驚かせたのが加藤和彦なのだ。
上の引用文になぞらえていえば、吉田拓郎青年に、向かうべき荒れ地を指し示したのが加藤和彦だったといえる。 ここで驚くべきは、その吉田拓郎よりも、加藤和彦のほうが1年年下ということだ。さらに驚くべきは、先述の『帰って来たヨッパライ』からミカ・バンドの解散まで、すべて20代の加藤和彦の仕業だということ。 日本中を席巻した20代の若者による「先進」と「諧謔」と「洗練」――「自由」。キャリア初期の加藤和彦が、いかに早熟だったか、いかに恐るべき若者だったか、ということになる。