加藤和彦のいったい何がそんなに凄かったのか 映画「トノバン」に表れる先進と諧謔と洗練
映画『トノバン』が5月31日から公開される。音楽家・加藤和彦のドキュメンタリー映画だ。 【画像】加藤和彦の年表(キャリア初期) 少し前に、私も試写会に参加させていただいた。試写を観て、こういう映画はぜひ、生前の加藤和彦を知らない若い人にも観てもらいたいと思い、以下、加藤和彦の音楽家としての凄みについてまとめてみようと思う。 とはいえ、加藤和彦は、私が生まれた頃に音楽活動を始めているので、特にキャリア初期については、私自身も、リアルタイムでは接していない。
キャリア初期とは具体的には、ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)から、有名な『あの素晴しい愛をもう一度』(1971年)を経て、サディスティック・ミカ・バンドに至る時期である。 そして、この、加藤和彦のキャリア初期の活動や作品こそが、私が個人的にハマった時期なのであり、また映画の中でも十分に時間が割かれているところだ。 というわけで今回は、この時期に焦点を絞って、彼の凄みをたどることとする。 ■日本ポップ音楽史における革命
まずは何といってもフォークルである。加藤和彦といえばフォークル、フォークルといえば『帰って来たヨッパライ』(1967年)という人も多いだろう。 応仁の乱からちょうど500年後の京都から出てきた加藤和彦に、きたやまおさむ、はしだのりひこという奇妙な3人組による奇妙な1曲。ロボットのような声で「♪おらは死んじまっただ」と歌う、あの曲だ。 一見「変な声で歌うコミックソング」にすぎないが、日本ポップ音楽史における真の革命は、サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』同様、コミックソング的な顔付きでやってくる。
この曲の凄みは、まずは「日本初のインディーズ発ヒット」ということ。そもそもはアマチュアグループとしてのフォークルの解散を記念して作られた自主制作盤『ハレンチ』の中の1曲だった。それがラジオで火がつき、メジャー契約。瞬く間に特大ヒットになったのだ。 次に「日本初の自宅録音ヒット」ということ。録音された場所は、スタジオではなく、きたやまおさむの家。その録音作業の中で、若き加藤和彦が中心となって、ロボットのような声への加工など、さまざまな音楽的実験を成し遂げた。