加藤和彦のいったい何がそんなに凄かったのか 映画「トノバン」に表れる先進と諧謔と洗練
そして、数々の珍奇な音の多重録音は、サンプリング技法の先取りともいえ、つまりは「日本初のヒップホップ・ヒット」とも言えよう。 と、そんな風変わりな曲が「オリコン初のミリオンセラー」となったのだ。1968年1月から始まったオリコンチャートにおいて『帰って来たヨッパライ』は、その3週目に首位に立ち、5週間にわたって首位をキープ。オリコン上の売上枚数は131.3万枚と記録されている。 ■『あの素晴しい愛をもう一度』の凄み
次に「加藤和彦・北山修」名義の『あの素晴しい愛をもう一度』は、個人的には加藤和彦の最高傑作だと思っている。 加藤和彦によるシンプルなコード進行とメロディ(このあたりに作曲家としての彼の本質があると思っている)と素晴らしいギタープレイに、北山修による清潔な世界観の歌詞。 その後、商業化・複雑化・混沌化していく日本の音楽シーンにないものが「全部入り」になっているように思う。 結果、老若男女みんなが一緒に歌える1曲として、今でも特別な形で愛されている。逆にいえば、その後のニューミュージック~Jポップにおいて、みんなが一緒に歌えるような曲は驚くほど少ない。
また、加藤和彦が、当時妻のミカや、高中正義、高橋幸宏、小原礼、後藤次利らと結成したサディスティック・ミカ・バンドの活躍も忘れるわけにはいかない。 特に名盤『黒船』(1974年)のリリースと、イギリス公演を成功させたことは、日本ロック史上における大きなトピックとなっている。 このミカ・バンドについてもポイントとなってくるのは、それほどの巨大な功績があり、また最高のテクニックを誇ったバンドにもかかわらず(アルバム『ライヴ・イン・ロンドン』収録の『塀までひとっとび』は日本ロック史上最高の演奏の1つ)、小難しくマニアックにならず、徹底してポップで軽やかなことである。
だってタイトルからして『サイクリング・ブギ』『タイムマシンにおねがい』、さらには『ファンキーMAHJANG』なのだから。 ■のちの音楽シーンに多大な影響を残した これら加藤和彦のキャリア初期における凄みをまとめると、1つは「先進性」だ。ビートルズをリアルタイムでパロディにしたような『帰って来たヨッパライ』から、グラムロックからレゲエまで、こちらも最新の洋楽トレンドを取り入れたサディスティック・ミカ・バンドまで、加藤和彦のセンスはとにかく新しい。