「義父母と妻に子どもを押し付け…」生まれたばかりの赤ちゃんに会えなくても、私が“捕鯨船”に乗り込んだワケ
〈「結婚したい相手ができたら急がなきゃ…」「ぼくらには時間がない」陸にいない“捕鯨船員”の夫と結婚した妻の“決め手”〉 から続く 【画像】妻を「ほかの男にとられたら大変だから」と…普段は陸にいない“捕鯨船員”の姿 ノンフィクション作家の山川徹さんは、駆け出しライターだった頃に出会ったテーマが捕鯨だったという。2022年、捕鯨船に乗り込み船員らにインタビューを敢行。船員の家族たちはどのような思いで帰りを待っているのだろうか。『 鯨鯢の鰓にかく 』(小学館)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/ 前編 から続く) ◆ ◆ ◆
家族の存在
船員の家族の思いを聞いてみたい。そう思ったのは、私自身の変化も大きかった。 日新丸に乗船する二カ月前の二〇二二年七月、私は第一子の男児をえた。 生まれたばかりの子どもに二カ月も会えないのは不安だった。 しかし商業捕鯨取材は二年ほど前からの計画だった。共同船舶の担当者の計らいで、妻の出産後の九月から乗船できるよう調整してもらったのである。 子どもと別れる日、複雑な感情が去来した。 ようやく笑顔を見せ、手足を動かすようになった乳飲み子の成長に立ち会えない寂しさ、不測の事態が起きてもすぐには帰宅できない不安を抱えながらも、慣れない育児から離れて久しぶりの長期取材に集中できる高揚感を覚えた。同時に、妻と義父母に子どもを押し付けるような後ろめたさも感じた。 航海を続ける船員たちも似たような思いを抱き、陸を離れるのだろうか。 雑談や酒席で何度も耳にした出港前の家族との別れについて、彼らと家族の関係に少しだけ思いを馳せられた気がしたのである。
「生まれたばかりの新生児には会えない」
日新丸に乗船した直後、矢部は私の事情に共感してくれた。 「うちの会社はみんなそうです。この船に乗っていると生まれたばかりの新生児には会えないんですよ。自分のときはまだ日新丸ではラインが使えずに衛星電話だけでしたから、嫁さんが写真の容量を小さくして送ってくれました。自分もチビ(三女)にはじめて会ったときには、生後三カ月で首が据わっていましたから」 美保から送られた子どもの写真を南極海で受信した矢部は、〈よくやった〉と無口な彼らしくぶっきらぼうな労いの返事を送った。 夫からのメールを受け取った美保は「無事で本当によかった」と胸をなで下ろした。美保は、海上で妨害活動を受ける夫の無事を祈りながら、出産に臨んでいたのである。 出産の三カ月後、美保は生まれたばかりの娘を連れて、夫を新横浜駅に迎えに行った。しかし矢部はベビーカーに乗った乳児を不安そうにしばらく見つめるだけで、触れようとしない。 「いい加減、抱っこしたら」 美保が促すと、矢部は恐る恐る抱き上げた。 「どうしたらいいかわからなかったんで……」