創部9年目の上越がプリンス北信越2部で奮闘。元Jリーガー監督は苦労すらも楽しむ「しがみつきながら頑張っている」
スタイルはどちらかと言えば堅実
藤川監督は上越高に就任してから、指導者ライセンスの取得を進め、現在はA級ライセンスを持っている。選手目線で個を伸ばしながらも、全体を見てゲームプランやトレーニングプランを練っているという。 「新参チームはスペクタクルなサッカーをやりたがるけど、うちは真逆。手堅く、一個ずつランキングを上げていく方法」と表現する通り、スタイルはどちらかと言えば堅実。毎年のように実力に合わない“背伸び”したステージを戦いながら着実に勝点を積み上げ、リーグのカテゴリーを上げてきた。 「理想を追いたいから指導者になったけど、ある程度、現実を見ながらチームを作っている。そこが面白さであるし、大変な部分。理想はあるけど、そこばかり言って結果が出ない。勝たせられないというのは、自分の哲学とは違う」 地域に密着したチーム作りを行なってきたのも、自身の考えに基づいている。藤川監督が大分に在籍した2012年は財政危機を乗り越え、プレーオフを経てのJ1昇格を決めた時期。地元の人たちから集まった寄付金、支援金によって、Jリーグから借りていた3億円を返済し、J1ライセンスの交付が決まった。 「大分時代は地域の皆さんに支援して頂いて、J1に上がることができた。元プロだからこそ、サッカーばかりではない、Jリーグでやっていたからこそ、地域との繋がりが大事だと分かっているので、すごく大事にしています」 創部した頃から街の清掃活動を行なうなど、学校がある上越市への地域貢献を行なってきた。アルビレックスがある下越地域、“バスケの街”として知られる長岡市のある中越地域とは違い、上越地域には強いスポーツがこれまでなかった。 上のステージを目ざす上越高を応援する機運は高く、今では地元のおじいちゃん、おばあちゃんが試合の応援に訪れる。サッカー部の試合日程が書かれたポスターを店頭に張るお店も少なくない。 この春にはグラウンド脇に新しいサッカー部の寮が完成したが、100人を超える選手が食べる1年分ものお米も、地元の人たちの寄付によって賄う。「街が一体となって、子どもたちを育ててもらいたい。我々も与えてもらうだけでなく、サッカーを中心に何かを与えていければと思って、様々な活動に取り組んでいる」という。 「力のある選手が増えてきて、少しずつサッカーになってきた。まだ創部して8年。漫画みたいには上手くいかないので、しがみつきながら頑張っている。だいぶ苦しいことも経験してきました」。藤川監督はそう苦笑いするが、苦労すらも楽しんでいるように見える。今の成長速度を続けていけば、上越高の名を全国で目にする日もそう遠くないはずだ。 取材・文●森田将義