BiSHは自分の青春だった――解散まで残り半年、涙ながらに語る「決断の日」、そして「これから」
アイナは、今後についてあまり考えていないと言い切る。 アイナ「正直、全部が終わった後のことまで考えられないっていうか、今は目の前のことだけ考えてるほうが、自分に向いてると思う。あんま不安とか楽しみとか何もないです。BiSHが一番の生きがいで、BiSHが楽しいから、ひとりになるのが楽しみとかないです」
不安はBiSH解散後に限ったことではないと言うのはアユニだ。 アユニ「そもそも生きるのがそんなうまくないんで、ひとりがどうとか関係なく、生きることについて、将来が不安です。私はBiSHに入る前、すごいBiSHの音楽に救われてきて、その大好きな人たちと今こうやって過ごせてるのが、自分にとってはすごい奇跡的なことなので、その今を大事にして生きているっていう感覚のほうが大きいです」
「なんでもポジティブに考えるので楽しみでしかないです」と言うハシヤスメは、BiSHの中では異色だ。 ハシヤスメ「自分の将来も楽しみだし、みんながやりたいことやってる姿を想像して。たとえば誰かがひとりでライブして、それをみんなで見に行くっていうのも楽しみです。でも、今はやっぱりBiSHが一番大事です」
7年越しのジャイアント・キリング
2015年に結成されたときのBiSHのキャッチコピーは「新生クソアイドル」。2016年にエイベックスからメジャーデビューが決定すると、キャッチコピーは「楽器を持たないパンクバンド」に変更された。実際、現在のBiSHは、アイドルという枠を超えて、幅広い層からの支持を得た。「紅白」にも出場し、かねての目標だった東京ドーム公演も見据える。 BiSH結成の2015年は、乃木坂46がその地位を盤石のものにし、「アイドル戦国時代」と呼ばれたブームも徐々に沈静化。そんな状況の中で、BiSHは「新生クソアイドル」として過激なパフォーマンスで話題を呼び、メジャーデビュー以降は「楽器を持たないパンクバンド」として多くのロックフェスに出演し、音楽性とパフォーマンスによってファンを急増させた。ただのアイドルでもなければバンドでもないBiSHが、道なき道を突き進んで、なぜここまで幅広い人気を獲得できたのだろうか。 チッチ「でも、道なき道だったからよかったなって思うんです。BiSHっていうジャンルを突き通してきて、ライバルだなって思う人も正直わかんないから、自分たちで必死に生きていくしかなかった。渡辺さんや松隈さん(松隈ケンタ/サウンドプロデューサー)たちBiSHチームと一歩一歩進んできたって感じがするから、『急に売れたよね』って言われても、うちらは急に売れたと思ってないし」 アイナ「正直、『紅白』に出れるなんて、微塵も思ってなかったし、一生懸命やってたらいろんな人が助けてくれて今になったって感じで、自分たちだけで進んだっていう感じがしない」 ハシヤスメ「7年間のジャイアント・キリングっていうんですか、まさかの連続というか。だから、常に幸せな7年間でした」