【輪島の「食」を守りつなぐ作り手たち】(3) 大好きなふるさとに、もう一度、力を吹き込む
2024年元日、石川県の能登半島がマグニチュード7.6の大地震に見舞われてから8カ月余。自らが生きる地への強い思いを原動力に、歩み続けている食の担い手たちを紹介する。最終回は、炊き出しに奔走してきた飲食店主らが結集したレストラン、輪島塗の担い手の奮闘を伝える。 大地震の打撃から営業を断念する飲食店が相次ぎ、ひっそりとした輪島。そこに灯をともすように8月、新たなレストランがオープンした。名前は「芽吹(めぶき)」。厨房(ちゅうぼう)の担い手は、地震が襲った翌日から炊き出しに駆け回った料理人など15人だ。 「輪島をなんとかしたい。やっぱり飲食業で」。中心人物の池端隼也さんは2014年に故郷の輪島でフランス料理店「ラトリエ・ドゥ・ノト」を開き、21年にはミシュラン一つ星を獲得。震災が起こった元日は、10年の記念イベント計画を発信したばかりのタイミングだった。しかし、輪島は一変し、自分の店も倒壊。「走馬灯のようにこれまでの苦労がよぎり悲しい気持ちになる一方、できることを何かしなければ、と。そして、記念イベント用の食材が炊き出し用に変わってしまったんですが」 動き出したのは、1月2日。知人に声を掛けるうち、炊き出しの仲間は、漁師、みそ屋、輪島塗りの塗師屋など20人ほどに増えた。ラーメン屋のチャーシュー、干物屋さんの魚介類、ボランティア団体のピストン輸送によるコメ。全員が走り回って、日々の食材をつなぐ。炊き出しは連日長蛇の列ができ、1日1800食を振る舞った。「もちろん大変だったが、皆、明るかった。強いミッションを感じていたから」 ▽力を蓄える場所に 被災者が仮設住宅に移りはじめた頃、炊き出しを続けてきた池端さんらも次のフェーズに進んだ。池端さんが営業再開を諦めた別の飲食店を買い取り、輪島に根付く店を皆で立ち上げた。メンバーには、フレンチの池端さんを筆頭に、中華料理、和食の料理人のほか、酒造会社などもいる。「飲食店が元気じゃないと街は元気にならない。まず自分たちが動くことで、街が元気になったら」。芽吹は生業をつくると同時に、皆がそれぞれの店を再開するまで力を蓄える場所になる。 輪島や隣接する能登町の宇出津港で上がった新鮮な魚貝、地元の農園で育った野菜を使い、お刺身や焼き物などの一品料理、揚げ物、中華、パスタからデザートまで。芽吹は、輪島への愛を深めた料理人たちが手がけるメニューを味わえる奇跡のレストランだ。 池端さんは、フランスの地方で5年ほど修行をしたことがある。「何もない田舎にそこにしかないモノを食べに人が来る。輪島もそうなれるんじゃないかって」。ラトリエ・ドゥ・ノトを開いた理由だ。 ▽輪島の自然は死んでない 仮設住宅は増えたが、本格的な復興はまだまだ。「全然皆が思うように進んでいないんですが、能登の自然は死んでいないんですよ」。輪島や能登の素晴らしいモノをこれからも精いっぱい伝えたい。「もう少し環境が整ってきたら、是非、輪島に来て下さいね」(池端さん) 好きだという強い気持ち <輪島キリモト> 輪島の街を歩くと、今なおダメージがない建物を見つけるのは難しい。傾いた電柱、一階部分がつぶれた商店。そして、そこかしこに何より多く見られるのが「漆」の文字だ。輪島の事業所のうち3割に上る製造業の柱は、漆器業。地域経済の屋台骨となり、食の世界を支えてきた。 輪島キリモトは、江戸時代後期の漆器製造販売に始まり、先々代からは木地屋となった。大学で工業デザインを学んだ7代目の桐本泰一さんは、塗師屋を中心とする分業体制が当然だった業界で、木地づくりから漆塗りまでを一貫生産できる体制を整備。輪島塗りの技術を木工製品や漆の器のみならず、小物、家具、建築内装材に至るまで落とし込み、新風を吹き込んできた。 震災が襲ったのは、新型コロナウイルス禍を乗り越え、海外からも来訪者を受け入れる計画が進んでいたその矢先。中心部の店舗だけでなく、自宅も倒壊して住めなくなってしまう。それでも、残った工房兼ギャラリーを修復しながら、「前を向くにはどうしたらいいか、に集中した」 ▽職人の手を止めてはいけない 水道復旧もまだだった2月初旬、世界的な建築家・坂茂(ばん・しげる)さんが、かつてサンプルづくりの仕事を依頼した桐本さんのもとを来訪。坂さんが提案したのはわずか2日で建てられる紙筒(しかん)をつかった平屋の仮設住宅だ。 震災後、輪島を離れた若い塗り師も少なくない中、「とにかく、職人の手を止めてはいけない、と。リスクもありましたが、行政の支援を待っていられなかったんです」(桐本さん)。坂さんと提携して仮設住宅を2棟建設。倒壊した倉庫でダメージを受けて野ざらしになった漆器を救出して運びこみ、塗り師らが働ける場所を確保した。動き出した工房に、これまで200人以上が視察に訪れている。 ▽救出、命を吹き返した器 輪島キリモトは、地元の珪藻土が入った粉を下地に使う輪島塗の伝統に独自の技術を加え、金属のフォークなどを使っても傷が付きにくい漆器を商品化している。この夏には、震災を乗り越えて生産を再開した工房で、キリモトならではの普段使いの漆器が再び出荷される。 打撃を受けた倉庫から運び出された漆器には、若い職人が、傷付いた部分に漆絵や金継ぎを施し、もう一度、命を吹きこんだ。塗り師や木地職人など10人余りでつくる地元の「わじま工迎参道」とも連携し、新しい作品を生み出している。 桐本さんと妻・順子さんは今も工房兼ギャラリーで寝泊まりする。「よく考えたら自らの住む場所、後回しだったんですね。ふつうはそっちが先だろうけど」。先日、ようやく仮設住宅が決まったところだ。それでも前を向き続けようと思う源は、「輪島を、漆を好きだという心」。好きなモノを好きで居続ける力を源に、今こそ輪島の魅力を発信したいと願う。