【特集】オーストラリアへ嫁いだ『戦争花嫁』 ふるさとで迎えた90歳の誕生日 広島・呉市
長浜公園を訪れたみす代さんは、当時の思い出を語ります。 ■片山みす代さん 「昔はここが丸かったのよ。あそこから海に飛び込んでいたのよ。ここに船はなかったし。」
海とともに過ごした長浜での日々。しかし、そこに戦争が暗い影を落とします。 ■片山みす代さん 「10代の時に食べるものはない、着るものもあまりない。」
あの日、ふるさとから見えたものは…
軍港だった隣町の呉は、空襲で焼け野原になりました。長浜では大きな被害はなかったと言いますが… ■長女・イーレンさん 「母は原爆も見たの。」 ■片山みす代さん 「煙だけね。長浜の山に上がっていたの、その日。急に雲が出てきて「呉の方のガスタンクが爆発したんじゃないかな」と言っていたら、夕方になったらケガをした人たちが来て「ピカドンピカドン」って。」
赤い糸で紡いだ絆…花嫁は渡豪を決意
戦後の呉は、アメリカ軍に代わってイギリス連邦軍が占領、統治しました。その主力は、オーストラリア軍の兵士たちでした。みす代さんがオーストラリア軍の技術兵、9歳上のケンさんと出会ったのは、17歳の時です。 ■片山みす代さん 「友達のお家に「食事においで」と言われて行ったら、たまたま彼女の誕生日だったんですよね。たまたま主人になる人も、彼も誘われていて、そこで初めて知り合って。恥ずかしくて旦那の前でこうして顔を見られない。2人でウブだったんですよ。」
恋に落ちたふたり。いったんオーストラリアに帰国したケンさんですが、みす代さんに会いたい一心で、志願して再び日本へやって来ます。そして、1953年に結婚。新婚生活を送った家は、今も残っていました。 ■片山みす代さん 「2階に住んでたの。オーナーが下に住んで。ものすごく思い出のあるところ です。本当に優しい人だったから。本当に私は運がよかったわけね、いい人に知り合って。」
1955年、みす代さんは21歳でふるさとの長浜を離れ、オーストラリアへ渡りました。子どもも授かりました。 ■片山みす代さん 「つらくあたる人がいるかもしれないから、覚悟してくるように(夫から)言われたんですけど、一度もそういう目に遭いませんでした。」 ■長女・イーレンさん 「私は、学校で周りにからかわれたわ。見た目がアジア系だから。」