<感恩報謝・’22センバツ星稜>/2 勝って監督の花道を /石川
「一致団結して甲子園で勝つことが最高の恩返しじゃないか?」 昨年9月初旬、緊急で選手ミーティングを開いた佐々木優太主将(2年)は仲間に懸命に呼びかけていた。 この日、2011年からチームを率いてきた林和成監督が21年度いっぱいで退任することが告げられた。佐々木主将は衝撃を受けながらも周囲の選手がぼうぜんとしているのに気付くと、ショックも覚めやらないままミーティングを開いた。 中止となった20年センバツの出場校が招待された同年夏の甲子園高校野球交流試合を最後に遠ざかっている甲子園。その夢舞台で勝利することで、先輩の思いに応えるとともに林監督の花道とする――。佐々木主将が掲げた目標は、仲間の心を打った。「そうだよな」。同意の輪が広がり、一人一人の目が輝き始めた。新型コロナウイルス感染により、21年夏の石川大会を途中辞退した星稜高野球部。3年生から夢を託され、林監督の退任発表も相まってチームは甲子園出場に向けてまとまり始めた。 一方で、新チーム発足後もコロナ禍は相変わらず社会を覆っていた。感染を防ぐために練習時間を十分に取れず、他校との練習試合で経験を積むことも難しかった。 それでも、部員たちは黙々と練習に取り組み続けた。「昨夏までは自分の中のイメージと実際の投球の中身に違う部分があった」。主戦右腕のマーガード真偉輝キアン投手(2年)はそう振り返る。沖縄県出身で「強いチームで仲間と高め合いたい」と星稜に入学。夏の石川大会で先発も任されたが、自らの投球内容に納得できない部分があった。 「スタミナをはじめとする根本的なところが身についていない」と分析し、走り込みやボートをこぐような動作で全身を鍛えるマシンに取り組み続け、基礎体力作りに励んだ。体重移動がスムーズになるよう投球フォームも研究し、「体力がつくと同時に球速も上がってきた」と手応えを感じ始めた。 秋の公式戦で打線の主軸を担った若狭遼之助選手(2年)は、練習時間が限られる状況を“打撃について考え続ける”ことで補った。プロ選手の動画を見たり、自らのスイングを撮影して確認したりしながらバットを振り続け、理想のバッティングを追い求めた。 × × 昨年9月11日、第145回北信越地区高校野球県大会が開幕し、星稜はこの日の1回戦をコールド勝ちし順調なスタートを切る。選手たちは実戦の中で経験を積み、成長していくことになる。