東海道屈指の宿場町「小田原」で起きた殺人事件…岡っ引きの主人公とその子分のバディが事件解決に奔走する「歴史小説」
読みどころ
当時、小田原と三島は、五十三次のなかでも繁華なことにかけては指折りの宿場だ。ふたつの宿のあいだに箱根の関所を控えていたからである。東からの旅人は小田原で、西からの場合は三島に泊まって、あくる日に箱根八里の山越えをするのが習い。東海道を旅するからには、否が応でも両宿場に旅籠銭を落としていかざるを得なかった。 関所を越える旅ではないが、半七と多吉は小田原に泊まり、あくる日に湯本をたずねるつもりだった。しかし、思わぬ殺人事件に巻きこまれてしまう。小森主従らが「山祝い」の膳を囲んだ夜の出来事である。 難所の山を越した時などに酒宴をして祝うのが「山祝い」で、必ずしも箱根に限ったわけではない。が、箱根の山は箱根八里と呼ばれて通行の難所とされていたうえ、関所改めがことのほか厳しかったので、通り抜けられた安堵感は大きかったのだ。 山をぶち抜いてトンネルを掘り、快適な高速道路をスイスイ走る現代人からすれば、ずいぶん時代遅れな風習に映る。が、保土ヶ谷か戸塚で一泊、さらに小田原と泊まりを重ね、覚悟を定めて箱根の山を越えていた時代である。今日の尺度で測ってはなるまい。
江戸の風情を小説に見る
『東海道中膝栗毛』の弥次さん、喜多さんは、この宿場の旅籠で五右衛門風呂に入り、下駄で風呂釜の底を踏み抜くヘマをやらかす。五右衛門風呂を備えているくらいだ、なかなか格式ある宿なのであろう。ご両人には「身のほど知らず」の言葉を呈しておこう。 一方、半七の泊まった旅籠「松屋」は2階建て、中クラスの宿だったようだ。普通の宿にはない押入れ付きの部屋もあるくらいなのだから。 風呂から上がった半七は、多吉に付き合って酒を飲んだ。 2、3杯飲むと、もう半七はまっ赤になって、膳を引かせると、やがてそこへごろりと横になってしまった。 「親分、くたびれましたかえ」と、多吉は宿から借りた紅摺りの団扇で、膝のあたりの蚊を追いながら云った。 「むむ。あんまり道草を食ったので、ちっとくたびれたようだ。意気地がねえ。おとどし大山へ登った時のような元気はねえよ」と、半七は寝ころびながら笑った。 綺堂の筆は、江戸期の残り香を堪能させてくれる。行燈の乏しい灯りに、深々とした闇が浮かび上がる。
岡村 直樹(ライター)