東海道屈指の宿場町「小田原」で起きた殺人事件…岡っ引きの主人公とその子分のバディが事件解決に奔走する「歴史小説」
もともとは薬だった「ういろう」
小田原名物といえば、外郎とかまぼこ。現在、外郎は菓子としてのイメージが強いが、もともとは薬だった、という。外郎は清水彦十郎本陣跡の近く、ういろう(株)で売っており城郭と見まごう造りである。外郎博物館も併設している。 経営者は代々、「外郎」を名乗り、現在は25代目の武氏。外郎家は、中国の元帝国の滅亡にともなって日本に帰化した。明応4(1495)年、小田原を平定した北条早雲は、京都の朝廷に仕えていた外郎家を小田原に招き、朝廷との外交役に任じた。以来、北条家とは濃密な関係を築いてきた。 小田原市では、早雲を主人公とした大河ドラマ制作をNHKに働きかけている。外郎武氏は、「早雲は簒奪者のイメージが強いので、NHKが受け入れるかどうか。私自身は、早雲が簒奪者とは思っていませんが」と語る。
『半七捕物帳 山祝いの夜』あらすじ
「江戸っ子は他国の土を踏まないのを一種の誇りとしているので、大体に旅嫌い」(「蝶合戦」)のはずだが、神田三河町の岡っ引き・半七は、箱根湯本への旅に出た。療養中の奉行所同心の御新造を見舞うためだ。文久2(1862)年5月のこと。 子分の多吉を連れた半七は、2日目の晩に小田原宿に入った。ところが、その晩に同宿の商人ふたりが殺され、金を奪われる事件が出来する。役人が調べているというので、半七と多吉が部屋でじっとしていると、多吉の顔見知りの男がころがりこんできて、「助けてくれ」と哀願する。 男は七蔵という中間で、主人の小森市之助(江戸町奉行所与力)に手討ちにされる、というのだ。七蔵の話すいきさつは、こうである。 御用の筋で駿府へ行った帰途、三島宿で七蔵が喜三郎という男に声をかけられた。市之助の臨時の荷物持ちになって、関所を抜けたい腹らしい。3人はどうやら関所を通り、小田原に泊まった。当時、無事に箱根を越せば、その夜の宿で「山祝い」をするのが習い。祝い酒に酔って寝こんだところ、喜三郎が事件を起こして逃走してしまう。市之助は観念した。もはや関所抜けの罪は免れない、七蔵を手討ちにし自分は腹を切る―。 だが、七蔵の言うことには裏が…。