ハイデガーVS道元…哲学と仏教の交差するところに、はじめて立ち現れてきた「真理」とは?(第2回 言語の本質 その2)
述語の思想
南:僕が『存在と時間』を初めて読んだのは高校生の時でした。同級生にすかしたやつがいて、分厚い本を読んでいた。僕、その頃、思想とか文学とかをちょっと囓りはじめた頃だったから、「何読んでるの?」って言ったら、そいつが本をこうやって見せて、「お前知ってる?」って言うから、「もちろん」って言っちゃったんですよー(笑)。あの当時はそういうところで背伸びする年頃なんですね。もちろん全然知らないからその日のうちに本屋に駆け込んで買ってきたけど、全然わからなかった。 でも、かっこいいんです、言葉がね。 轟:それが『存在と時間』の人気なんじゃないかと思うんです。「これが哲学だ!」という感じがする。 南:「現存在」なんて言われて、「これは俺のことか」みたいに妄想してね(笑)。何言ってるのかわからないんだけど、目次を見ると、「死に対する先駆的決意」。 俺、もうまいっちゃって(笑)。 轟:僕も今回、後期もやってハイデガーの思想の核心が何かつかめたかなという段階で『正法眼蔵』の解説書を読んでみて、ああ、なるほどなあ、と、「修証一等」ということがよくわかったんです。ハイデガーが言う「存在」は、じっと観照するようなものではないんです。「存在」は存在者と表裏一体で、鳥があるとか、机があるとか。 南:きわめて体験主義的な書き方ですよね。 轟:「もの」を通してその世界を「あらしめる」ということなんです。 南:それはとても大事なことで、仏教の根本である「縁起」の思想とは、「縁起」そのものがあるわけではなくて、あるものがそこにあることを「縁起」として見なきゃ駄目だということなんですよ。「縁起」そのものがあるとなると「縁起」自体が形而上学になって、単に「みんな繋がってます」みたいな話になってしまう。 以前ある人が、「空」というのは鍋みたいなものだと言ったんです。はんぺんもあればちくわもある、それを「縁起」という味で煮込むと真理の鍋ができる(笑)。 だから私は、比喩でずらすなって言うんです。「縁起」と言うんだったら目の前のものが実際にどのようにして「縁起」しているかを説明しなきゃ駄目ですよね。 「存在」も、下手をすると言葉自体が形而上学化してしまうおそれがある。神の代替みたいなね。ハイデガーはそれを避けたかったんだと思うんです。そうなると、言葉を替え、説明を変えざるを得なくなる。だから、「存在の形而上学」みたいなことを言う人がいますが、あれは誤解でしょう。 でもたしかにそう取られる危険が初期の著作にはあったのでしょうね。 やはり「空」と一緒で「存在」も、述語として捉えないとまずいと思うんです。ところがタイトル自体で「存在」が主語になってしまっているから、どうしても誤解する人がでてしまう。 轟:ハイデガーは晩年、「存在」という言葉自体を使うことをやめますが、それは「存在」という言葉では、やっぱり対象化されてしまう危険性があったからです。それで「存在」に「×(ばってん)」を付ける。対象ではなく関係性なんだということを言うために。 南:だからやっぱり「性起」というのは、前にも言ったように(第1回その1)「縁起」かなと(笑)。 轟:ハイデガーは、本質とは名詞的なものではなくて動詞的なものだと言っています。いわゆるアリストテレスの範疇としては捉えられない。つまり何か実体的な「鳥の本質」なるものがまず先にあるわけではなく、どういう場所でどういうふうな生息をしているか、たとえば飛んで、餌を食べて、などなどその全体を知ることで、初めて鳥が何だかがわかる。 南:「鳥してる」みたいな感じですよね(笑)。 『正法眼蔵』を読んでいると、「即心是仏」というタイトルが出てきて、その中に「即心是仏するなり」と書いてあって、やはり動詞化させています。「有時」にも、「有時する」という表現がある。 轟:その感じ、すごくわかります。 南:仏教では「述語論理」とでも言いますか、述語的な思考がとても大事で、「縁起」という世界を捉えるにも、主語化する危険性をまず踏まえた上で、つまり述語に焦点を当ててからから次に主語に行かないと危ないなという気がしています。 * 【つづきの「第3回 行為を「きちんと」やること」も近日公開予定です。お楽しみに! 】
轟 孝夫(防衛大学校教授)/南 直哉
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