被爆体験を伝え続けた演芸家で俳優 三代目・江戸家猫八さんの遺影 新たに国立追悼平和祈念館に登録
中国放送
演芸家で俳優の三代目・江戸家猫八さんの遺影が、今月、新たに広島市の国立追悼平和祈念館に登録されました。 【写真を見る】三代目・江戸家猫八さんの遺影 三代目・江戸家猫八さんは、動物の鳴き声などの物真似やバラエティー番組の出演で俳優としても人気を集め、2001年に80歳で亡くなりました。 原爆投下当時、船舶司令部船舶砲兵第一連隊(暁第2953部隊)に所属していた三代目・江戸家猫八さんは爆心地から約4.2キロの広島市宇品町(現在の広島市南区)で被爆しました。 爆風で数メートル吹き飛ばされましたが命は助かり、その後、遺体の処理や家屋の下敷きなった人たちの救出などにあたり、被災者を励まし続けたといいます。 戦後、被爆の後遺症に悩まされた三代目・江戸家猫八さんは、70歳を越え人生を振り返り次のように述べています。 「私を一番苦しめたのは、いつ私の原爆症が出るか、あるいは、子どもや孫たちに後遺症が出るのか、という精神的な不安だった。この不安が、私を自律神経失調症に追いやってしまったのではないかと思う。まるで正体の見えない亡霊のような病だった。そして、この病を治すには、“時間” という薬しかなかった」 1981年、2度目の江戸家猫八独演会を開いた時に、人前で初めて被爆について語りました。その時の心境を次のように語っています。 「被爆の話をするのはつらい。今だって話していると涙が出てくる。しかし、被爆の話を人に伝えていくのは、あのとき原爆の光を見て、今も命をもらって生きている人間の務めではないかと、少しずつ思えるようになっていった」 そして、江戸家猫八さんは被爆体験を継承する取り組みを続けたということです。 遺影の登録は、暁部隊の企画展を担当している国立追悼平和祈念館の職員が、三代目・江戸家猫八さんが暁部隊に所属していたことを知り、その孫に連絡を取り実現しました。 国立追悼平和祈念館は、これまでに約2万7000人の遺影を登録していますが、著名な人の遺影を登録することでより多くの一般の登録を促したいとしています。
遺影を提供した孫の五代目・江戸家猫八さんは「祖父は、未来に残さなければと自身の被爆体験を伝える活動を続けていました。祖父が亡くなり23年が経ちますが、遺影の登録を機に今一度、みなさんが戦争や原爆について少しでも思い起こすきっかけになれば」とコメントしています。
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