「そんなことまで頼んでない」闇に葬られた山一証券もう一つの「報告書」 朝日新聞の記事で「情報リーク」を疑われた“マチベン”弁護士が真相を語るー平成事件史(19)戦後最大の経営破たん【インタビュー】
筆者の目の前にあるのは106ページに上るドキュメント。これは1997年の山一証券の「自主廃業」の経緯を克明に綴った「社内調査報告書」である。まだ「第三者委員会」という概念さえない時代、企業の破たんを記録した初めての報告書と言われた。元読売新聞の清武英利氏の名著「しんがり 山一証券最後の12人」には、調査チームの物語が克明に記されている。 【写真を見る】「そんなことまで頼んでない」闇に葬られた山一証券もう一つの「報告書」 朝日新聞の記事で「情報リーク」を疑われた“マチベン”弁護士が真相を語るー平成事件史(19)戦後最大の経営破たん【インタビュー】 この調査チームで「調査報告書」をとりまとめたのが、当時、42歳の無名のマチベンにすぎなかった国広正弁護士(38期)であった。国広はそれまでミンボー専門だったが、4か月にわたる徹底的な調査によって、タブーなしの調査報告書を書き上げた。 当時、司法記者クラブで特捜部を取材していた筆者は、公表された「社内調査報告書」の内容を、衝撃を持って受け止めた。特捜部の捜査でも明らかにされていない関係者の重要な証言や、債務隠しの新事実が随所に盛り込まれていたからだ。 国広は、「調査報告書」に何をどう書き込むべきか、どんな思いで日々格闘していたのだろうか、水面下で繰り広げられた知られざる舞台裏を聞いた。 ーー国広さんが「調査報告書」を書き上げていく過程で、とくに心がけたことはどんなことでしょうか。 国広弁護士: 4か月間、「しんがり」の人たちと寝食をともにしながら、「調査報告書」に向き合いました。会社に泊まり込んで、前例やノウハウもない中で、100人以上からのヒアリングを行った結果、経営陣が「飛ばし」を決め、隠ぺいを続け、大蔵省がどう関与したのかなど、生々しいファクトがわかってきました。 報告書にもありますが、すでに1990年に顧客企業のファンドの状況を示す資料には、「JUNP」「エンドレスにつなぐ」「疎開」「金利を載せ疎開」などの用語が使われ、「飛ばし」をうかがわせる記述がありました。また法人営業部門では、複数の企業間で「飛ばし」を繰り返すうちに、出発点が不明になる状況を「宇宙遊泳」とも呼び、回復が見込めない損失を「ヘドロ」と呼ぶなど、隠語が頻繁に使われていました。
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