福山雅治「名プロデューサーは名ファンでもある」大泉洋「ふわり」の歌詞に言及
◆ファン目線で大泉洋の“これまで”を表現してくれた
福山:「ふわり」はリサイタルでファンのみなさんと一緒に育てた楽曲と言ってもいいんじゃないですかね。TAKUROさんが思った大泉さんの“これまで”を書いてくれた曲ですよね。 大泉:そうだと思いますね。 福山:この二十数年を抽出された感はどうですか。 大泉:見事です。ちょうど私は玉置浩二さんが曲を作ってくれて、歌詞を書かなきゃいけない時期があったんですね。そのタイミングに「ふわり」が出来上がったんですよ。そうしたら、ちょうど「あの空に立つ塔のように」にあてたかった歌詞が書かれていたんです。 福山:「これまでの自分がいたから今の自分がいる」という物語りですよね。 大泉:そうそう。私も「あの空に立つ塔のように」はそういう歌かなって思っていたんですよ。それがもう、見事にTAKUROさんが「ふわり」で書いちゃっていたから。あらあらって感じです。 福山:たしかに。今50歳になった大泉洋のことを、ファンの皆様はもう一度ちゃんと知りたいんですよね。 大泉:ほうほう。 福山:人生100年と言われるなかで50歳になり、いま折り返し地点。洋ちゃん自身も「あの空に立つ塔のように」を書きたかったし、TAKUROさんも描きたかった。名プロデューサーですよね。 僕は、名プロデューサーは名ファンでもあるとも思っているんですよ。つまり、「ファンだったらこういう大泉洋さんが見たい」というのを表現できるのが名プロデューサーであり、名ファンなのではと。 大泉:なるほど。 福山:ファンの方の気持ちを代弁されているのがTAKUROさんの「ふわり」。一方で、「あの空に立つ塔のように」のほうは、洋ちゃんが自分で自分に書く自叙伝。結果二曲あってよかったんじゃないですか。 大泉:そうですかね。TAKUROさんは俺のことをずっと見ていたのかなって思うぐらい見事に書かれていたので、それで私の作詞作業が遅れたっていうのはあります。 福山:(笑)。第三者がまとめてくれたものと自分でまとめたものだと、同じテーマでも違いますからね。違うものになっているので大丈夫です! 大泉:ありがとうございます! (TOKYO FM「福山雅治 福のラジオ」放送より)