小泉今日子らを手掛けた編曲家・山川恵津子氏が語るアレンジャーの役目とこだわり:インタビュー
作編曲家の山川恵津子氏が、自身のワークスを収録したアルバム『編曲の美学 山川恵津子の仕事』をリリース。また、自身の活動を綴った書籍『編曲の美学』を発売した。アルバムはビクターエンタテインメント盤(CD3枚組)、ポニーキャニオン盤(CD2枚組)となっている。山川氏は業界で稀有な女性アレンジャーとして1000曲以上の編曲に携わり、小泉今日子、松原みき、八神純子、おニャン子クラブなどを手がけ、80年代のサウンドに大きく貢献した。他にも鳴海寛とのユニット東北新幹線での活動から、プレイヤーとして大滝詠一のレコーディングに参加、またコーラスで3000曲以上に携り、松田聖子の仮歌など作曲・編曲以外にも幅広く活動。インタビューでは、強烈な出来事だった語る小泉今日子の「100%男女交際」の制作背景から、編曲家としてのこだわり、近年話題にあがるシティポップについてどのように感じているのか、話を聞いた。(取材・撮影=村上順一) ■編曲家というものをもっと近くに感じてもらえるんじゃないか ――『編曲の美学』を拝読して、編曲家、職業作家のことがよくわかりました。アレンジは印税ではなく多くが買取とのことで、その金額を知って驚きました。 出版社の方から「金額も書いてもらえたら」と言ってもらったのですが、最後まで書くかどうか迷いました。でも、載せるか載せないかでリアリティが全然違う、編曲家というものをもっと近くに感じてもらえるんじゃないかと思い、金額を載せました。80年代から今も金額は変わっていないんです。当時はマニピュレーターという方がいて、そちらの機材料や技術料も含めて成り立っていたのですが、それが今はなくなってしまっていて、編曲料だけが残ってしまっています。なので、マニピュレーターがやっていたことも、いまは私たちがやっている状態です。(※マニピュレーターとは、楽曲制作でミュージシャンが生演奏する以外のパートをプログラミング(打ち込み)によって制作し、ライブではそのオペレーションを行う人) ――やることが増えたのに金額が変わってないんですね。 そう。レコード会社の方から聞くと編曲料よりも、マニピュレーターや機材費が一番かかるみたいで。それをいま私たちがやっているのに、ギャラは変わっていないんです。 ――冒頭からそういったことが書かれている「編曲の美学」は大変興味深かったです。 リアリティのあることしか書いていませんから。プロなので生活がかかっているじゃないですか。周りからはさぞかし良い生活をしているんじゃないかと思われているかもしれないのですが、そんなことは全然ないです。 ――お仕事で驚いたのが小泉今日子さんの「100%男女交際」では、リテイクが入ったことで59時間ぶっ続けの作業だったとのことで、すごい精神力だと思いました。 あれは本当に大変でした。当時「アレンジが変わるかも」と連絡が来て、私は「えー!」と驚きました。作業の最後の方は意識が朦朧としてきて、起きてはいるけど脳が働いていない感じで、鍵盤も弾けなくなるくらいでした。 ――急遽アレンジが変わることは割とあることなんですか。 滅多にないです。最初のものもすごく良かったのですが、曲の一部は生きていましたが、ごっそり楽曲が変わることになりました。最近改めて曲を分析してみたのですが、曲にはサビ、Aメロ、Bメロ、サビ、またはAメロ、Bメロ、Cメロとかいろいろな構成のパターンがありますけど、「100%男女交際」はすごく細かいんです。<みんなの願いは明るい男女交際>という壮大なパートから入って、その後にイントロっぽいのが入り、Aメロがあって、Bメロがちょっと入って、<青春は永遠ですもの>とサビが来ますが、その後にまた雰囲気が違う明るいセクションがくるという、とても複雑な構成なんです。 ――作曲は馬飼野康二さんですよね。 そうです。たぶん最初はあんなに細かくはなかったんじゃないかなと思います。おそらく周りから言われてあのような構成になったんじゃないかなと。馬飼野さんも寝ずに作業していたんじゃないかなと思います。 ――他の案件も重なってとのことですが、59時間ぶっ続けは本当にすごいです。 皆さんもその状況になったらたぶんできると思います。代わりの人がいないわけですから。倒れてしまったらそこで終わりでしたけど、倒れなかったので(笑)。自分のキャリアの中でもかなり強烈な出来事でした。逆境に立って頑張るというのが、自分の中で良い思い出になっています。 ――山川さん、体力と精神力が強靭ですよね? それ、今もよく言われるんです。「山川さんって通年、風邪とか惹かないよね」って(笑)。 ■貴重な経験だった大滝詠一とのレコーディング ――大滝詠一さんのレコーディングにプレーヤーとして参加されていました。演奏したことがないチェンバロを担当されたとのことですが、当時を振り返るといかがですか。 大滝さんに抜てきしていただいたので、とにかく頑張ろうと思いました。チェンバロを演奏することは現場についてから初めて知ったんです。最初はピアノを弾く予定だったのですが、私だけチェンバロになって、「ピアノは上手い人じゃないと担当できないのかな」と思ったんですけど、いま考えると一番重積のあるパートなんですよね。 ――お1人だけ違う楽器ですから。 しかもみんなと違うところを弾くので、目立つんです。もしかしたら大滝さんは、私がペーペーだからとかそういうわけではなく、山川にやらせてみたいと思ってくれたんじゃないかと思いました。妄想ですけど(笑)。レコーディングの後のお話しですが、プロデューサーの川原伸司さんに大滝さんが「今の若い子はいいね」と仰っていたみたいで、川原さんが「それ誰のこと?」と聞いたみたいなんです。それは山川恵津子だと話してくださったみたいで、それを知って、あの時のレコーディングが好感触だったのかなと思いました。 ――また、大滝さんが山川さんにチェンバロの指示をされている、当時の写真が残っていて。 カメラが入っていたことは知っていたのですが、撮られていることは全く覚えていなくて。おそらく1人だけ違う楽器を演奏していたからだと思います。私はコーラスでいろんなアーティストの録音に参加することは多々ありましたが、キーボードプレーヤーとして呼ばれた記憶はほとんどないので、すごく貴重な経験になりました。 ■編曲の仕事は常に自転車操業 ――山川さんはいま何を目標に頑張れていますか。 今は目の前のものを一つひとつクリアしていくしかないんです。アレンジャーという職業は簡単なものではないというのは最初から分かっていて、自分には到底無理なんだけど、一度しかない人生だからダメ元でチャレンジしたいと思いました。他の職業についた時にあのとき挑戦しておけば良かったと自分の性格なら思うだろうなと思ったので、とりあえず行けるところまで行こうと思いました。 職業作家の大変さは知っていたので、自分の才能では足りていない、それは今でも思っています。もっと耳がいい人、演奏が上手い人はたくさんいるので。これまで作った作品を聴きかえすと、よくここまでやってこれた、頑張ったなと思います。最初は25歳頃であきらめがつくだろうと思っていたのですが、ギリギリですが生活ができるようになって。それは今も変わっていなくて、常に自転車操業なんですよね。来月、再来月のことはわからないので、先の目標は立てられないです。 ――その一つひとつの積み重ねが今につながっていて。それが今回リリースされた音源『編曲の美学 山川恵津子の仕事』が、ビクター盤とポニーキャニオン盤から山川さんの活動の一片を聞くことができます。選曲はどのように行われたのでしょうか。 自分は選曲には関わらずスタッフに選んでもらいました。たぶん選曲は自分が入ると揉めると思うんです(笑)。とはいえ選曲に携わってくださった方々それぞれ意見が違うので、すごく大変だったんじゃないかと思います。なので、自分では意外だった曲も収録されています。中には覚えていない曲もあるんですけど、そういうのは大概自分が作曲したものではなくて、編曲のみの曲が多い気がしています。中には自分が作曲したのと見分けがつかないものもあったりして、面白いんです。 ――収録曲だとどの曲ですか。 山口美央子さんが作曲された「約束のポニーテール」は、編曲のみ携わっているんですけど、自分が作曲したのかなと思うような曲でした。編曲のみ携わっているものだと、自分では作らないような曲もあったりするので、そこが面白いところでもあります。 ――作曲に携わっている曲も多いのですが、私は当時、山川さんの曲だと知らずに聴いていた曲がありまして、それは『魔法のスター マジカルエミ』のOP曲「不思議色ハピネス」なんです。いま改めて聴かせていただいてメロディー、アレンジすべてが素晴らしかったです。特にストリングスのラインがお気に入りなんです。 ありがとうございます。「不思議色ハピネス」はアニメの曲だったと思うのですが、私は一度も観たことがなくて。それを言うとみなさん驚かれるんです。この曲を作っていた時はすごく忙しかった時期だったので、スタジオの状況とかは全然覚えていないのですが、珍しいパターンなのですが、あの曲はレーベルからではなくて、出版社の方とお話をして作っていった曲でした。先方からはとにかくわかりやすい曲というのをリクエストされていたので、アイドルポップだけど歌謡に寄せたものにしようと思いました。ビートはしっかりありながらも、私としては下世話なところをいけばいいのかなと当時思ったのを覚えています。 ――「不思議色ハピネス」に通じるものを感じたのが、ゲームアプリ『アークナイツ』の「秋緒-Autumn Mood-」という曲も、山川さんのセンスがすごく出ている曲だと思いました。サビの雰囲気など80'sのアイドルソングを彷彿させます。 令和になって作った曲なのですが、秋だけど爽やかな感じ 、80年代のアイドルソングを作ってほしいというオーダーでした。アイドルの曲と一口に言ってもいろいろあるのですが、私が作ったアイドルの曲とのことだったので、そのままやればいいのかなと思いました。秋特有のセンチな感じではなくていいんだと思って、湿度の低いさわやかな感じになりました。 ■音を差し替えていく中で豊かに見せることを意識 ――お仕事をしていく中で個性というものが重要になってくると思うのですが、山川さんはどんなところにこだわってお仕事をされていたのでしょうか。 自分では自分の個性というものはあまりわかっていないんです。ただ、作曲家の方のデモというのは、コードがC、F、Gみたいなシンプルなものもあって、このまま出してしまってはまずいなと思うものもあるのですが、そこで私というフィルターを通した美意識を入れていきます。そのままずっと続くような風景であっていいのか、といったら私の中では許されないわけです。音を差し替えていく中で豊かに見せるということを意識してアレンジをしています。 そうなると自然とテンションコードが入ってきます。サビ前とかでもドミナントコードで永遠と引っ張られても聴いている人は飽きてしまうと思います。そうなるとリスナーの耳に引っ掛かることはないので、丁寧な仕事をしていかなければと思っています。 ――すごく効果的にテンションコードを使用されているイメージがあるのですが、音楽理論なども使いながら構築されていく感じですか。 そこは感覚でしかなくて、耳で聴いてどう感じるかです。私は理論はほとんどわからないので、勘でしかないです。近年やたらとテンションを使っている曲が多いなと感じていて、むやみやたらに使えるものでもないんです。コードとメロディーがぶつかってしまっている曲をよく耳にします。歌メロと曲の世界観に合わせて作っていくことがすごく重要なんです。 ――音を聴いていて、理論に精通されている方なんじゃないかと勝手に思っていました。 よくわかっていないんですけど、あとから分析するとしっかり理論に合っていると思います。スケールとかもいまだによくわからないのですが、調べれば何かしらに当てはまっているんです。理論は知らなくても曲は作れますけど、知っておいた方がいいんじゃないかなと思います。ただ、理論を知っているからといって、アレンジはできるものではないんです。理論より先に感性が生み出してくれるものだと思います。 ――ちなみに山川さんは、編曲を行うにあたりどのような音楽を参考にされてきたのでしょうか。 参考にする曲はその都度変わっていきます。日本の音楽だったら吉田美奈子さん、矢野誠さん、佐藤博さん、サウンドはティン・パン・アレーが好きでした。特に細野晴臣さんにすごくハマりました。歌詞が聞き取れない世界観とか、林立夫さんの独特なビートの揺れ具合、アカデミックなコードは出てこないのですが、ティン・パン・アレーのような音楽は大好きです。 洋楽ではクインシー・ジョーンズです。私はUKよりブラックミュージック、ソウルとかUSの方が好きです。またブラジルの音楽も好きで、ボサノヴァのミュージシャンは1人も知らないのですが、コードの豊かさがとても好みなんです。 ――ファンク系もお好きですか。 スティーヴィー・ワンダーやジョージ・ベンソンのようなソウルが好きなので、もしかしたらファンクも自分に合うんじゃないかなと思って聴いてみたのですが、ビートはいいんですけど、自分には合わなかったです。また、ルパート・ホルムズやスティーヴン・ビショップ、ボズ・スキャッグスとかAOR系も一通り聴いていて、そういったものをいろいろイメージして、AORの良いところをアレンジに組み込んでいってました。 ――近年世界的にシティポップが注目されていますが、この現象はどのように感じていますか。 私たちが当時やっていたものを聴き直していただけるチャンスなので、大変ありがたいなと思っています。でも、全て聴いたわけではないのですが、今シティポップと謳っているアーティストの曲は、ちょっと上辺だけかなと思っています。最近の仕事でも「シティポップ系で」といったオーダーが来るのですが、2024年のシティポップとは何を指しているのか、改めて勉強しなおさければと思っています。 おそらく今のシティポップといってリリースされている新曲は、80年代にリリースされたものより、そこまで深くはないのかなと思っています。私の感覚ではもっと幅があったと思うんです。それは作られている方の耳がそういう感じではないんですよね。今のシティポップの担い手と言われている方々は、山下達郎さんとかを聴いて作っていると思うのですが、シティポップと言っても達郎さんの曲はまたちょっと違うので、まずは大貫妙子さんを聴いて、参考にしてもらえたらいいのかなと思います。 ――耳を鍛えるというのがすごく大事なんですね。 そうです。私も音を探るためにヘッドフォンで聴いたり、スピーカーで聴いたり色々やってましたから。何度も聴いて「音が一つ違う」みたいなことの繰り返しです。理論がわからないから合致するまでトライ&エラーでやっています。「音楽は理論じゃないんだよ」と音をぶつけてOKとしている方もいるのですが、それは耳が悪いとしか言いようがなくて。とはいえ、Z世代の方でも耳が良い方はいるので、ちゃんと判断できている人がいるというところでは安心しています。 ――耳に加えてセンスもとても重要だと思うのですが、センスを磨くためにどんなことをしたら良いと思いますか。 それは私もわからないんです。なんとなくセンスというのは天性のものなんじゃないかなと。技術に置き換えたらいろいろ方法はあると思うのですが、好みというは変わらないじゃないですか。シンプルな音楽が好きな方もいますし、むしろそういう人の方が多いイメージです。シティポップのような曲は極一部の人にウケていて、90年代に入って廃れていったのかなと思っていたら、Suchmosやorigami PRODUCTIONSが出てきて、「こういう人達がいたんだ!」と思って、日本の音楽の未来が明るいなと思いました。昔の曲を掘り起こすのではなく、新しく出てきてくれて嬉しかったです。 ――そういえばKIRINJIは90年代に登場したバンドでしたが、当時は気づいてなかったんですよね? なんで当時の私は知らなかったんだって思うくらい、いまKIRINJIは大好きです。本当に天才ですよね。私は音楽を聴いていても歌詞ってあまり入ってこないんですけど、堀込高樹さんの歌詞は入ってくるんです。あれは作詞家ではなくシンガーソングライターならではのもので、メロディーと伴って出てきた言葉だと思います。それについて、いつかご本人に聞いてみたいです。リアルに自分を語っていくなかで、緻密に練られたサウンドがとても良くて、天才とはあの方のことを言うんだと思います。 他にも最近のアーティストだとVaundyも良かったです。「東京フラッシュ」という曲のMVで彼を知ったのですが、あの曲を10代で作ったと聞いて素晴らしいなと思いました。私も含め同業者の方たちが、80年代後半から仕事が減ってきてしまって、自分たちがやってきた音楽は古くなってしまったのかと思っていたのですが、古いとか新しいとかではないんですよね。KIRINJI、Suchmos、Vaundyのような方がこうやって繋いでくれているんだって。何かお礼を差し上げたいくらいです。 (おわり)