「俺がいなかったら、子どもたちの命は助かっていた」 津波で3人の子を失った木工作家の「あの日」 【東日本大震災】 #知り続ける
「父ちゃんがいるから大丈夫だぞ」
2011年3月11日。 遠藤は請け負っていた石巻市内の水産加工会社の改修工事を終え、帰宅途中に「あの揺れ」に襲われた。トラックで走っていてもわかるほどの激震で、周囲で電柱が何本も傾いた。 大急ぎで自宅へと向かった。築約30年の2階建ての母屋と実母のために前年に建てた平屋は、海から数百メートルも離れていない。 家に着くと、卒業式で午前中に中学校から帰ってきていた13歳の長女・花が、80歳になる母の恵子と一緒に平屋にいた。 石巻市内の病院で看護助手として働く妻の綾子が勤務中だったため、彼は近くの渡波小学校に10歳の長男・侃太(かんた)と8歳の次女・奏を迎えに行った。教師から2人の子どもを受け取って自宅に連れて帰ると、3人の子どもたちは祖母と一緒に平屋に入った。 「父ちゃんがいるから大丈夫だぞ」 余震を怖がる子どもたちにそう言い残し、自分はトラックに乗って連絡のつかない近所の親戚の様子を見に行くことにした。 親戚は不在だった。その帰り道、自宅から数百メートルの路上で異変が起きた。 「何だ、ありゃ?」 海の方角からパッと砂煙が上がり、家や車が津波に押し流されて路上に流れ込んできた。 目の前は三差路で、海、自宅、県道に向いている。自宅へと続く道はすでに水で覆われていたため、とっさに県道側へと迂回し、自宅へ回り込もうとハンドルを切った。 が、ダメだった。 次の瞬間、巨大な水の塊が押し寄せ、トラックが浮き上がった。水没すると車は水圧でドアが開かなくなる。彼は反射的に運転席の右側のドアを蹴り開け、水圧で閉まらないよう右足を挟んだ。そしてトラックから津波の中へと飛び込んだ。 濁流の中でもがきながら、流されてきた屋根に必死にしがみついた。しかし、その屋根もメリメリッと激しい音を立てて崩れ落ちてしまう。再び水の中に沈められ、無数のがれきと一緒に陸側へ押し流された。津波は近くのコンビニの壁にぶち当たり、彼はがれきと壁の間で挟まれながら、がれきに押しつぶされないように必死に耐えた。