下重暁子と秋吉久美子が語る母の死。死の恐怖に打ち克っていた母と死の恐怖におびえていた2人の母
娘二人じゃだめなの?
秋吉: 私の母は、下重さんのお母さまの域までたどり着くことはできなかったと思うんです。死を目の前にしておびえながら亡くなりました。なんとかして、恐怖をやわらげてあげたかった。今でもずっと思い続けています。 下重: 突然のことだったの? 秋吉: もともと風邪一つひかない丈夫な人でした。それが、体調の異変に気づいてからはあっという間、半年くらいで亡くなりました。末期のすい臓がんだったんです。 それがわかった時にはすでに黄疸が出ていて、最後の数週間は緩和ケアのためにモルヒネも点滴してもらっていました。そうしたら、ふとした瞬間に「二人じゃ足りない」って漏らしたんです。 下重: 二人、というのは? 秋吉: うちは私と2つ年下の妹、二人姉妹なんです。その二人だけでは自分をケアしきれないんじゃないか、という意味だったと思います。 母は11人きょうだいの6番目に生まれ、大きい兄や姉が第二の親代わりで、いつも幼い弟や妹がいる賑やかな家庭で育ちましたから、自分が二人しか子どもをつくらなかったことを嘆いたのかもしれない。悲しいことをいうなあ……って思いました。彼女に心の安寧を与えてあげられなかったこと、悔やんでいるんです。 下重: 秋吉さんが今よりも20歳近く、若かった頃ですよね。 秋吉: とはいっても50代になっていましたから、立派な大人です。それなのに母を不安にさせてしまった自分が不甲斐なくて。 下重: どんなふうに話をしたら、安心させてあげられたのかしら……。死への恐怖を和らげるような言葉、私には思いつかない。
母は死に対して不安そうだった
秋吉: 母を亡くしたあとに私は洗礼を受けていますが、クリスチャンって、死をロマンのように語るところがあるんです。「あのきれいな星の向こうに、きっと天国があるんだわ」というように、まるで一つの物語みたいに。 下重: ああ、そういうふうに伝えるんですね。 秋吉: でも、天国に到着するには少し時間がかかるから、それまではしばらく雲の上で休んでいてね、とか。そういうことを話してあげたかった。 下重: お母さまは、そんなに死を不安に感じていらした? 秋吉: ものすごく不安そうでした。ものすごく、です。具合が悪くなった母はナース・ステーションの向かいにある小さな個室に入院していたのですが、別の広めの個室が空いたので、そこへ移ってもらおうとしました。 そちらは、スペースにゆとりがあって何人かが訪れても手狭にならなかったし、身内が泊まるための簡易ベッドもあったので、看護する側にも看護される側にもよかった。なにしろ11人きょうだいですから、親戚もたくさん。お見舞い客も多かったんです。 でも、母は移ることをいやがりました。ナース・ステーションから離れるのを怖がったんです。朝から晩まで、看護師さんたちの気配を常に感じていたかったから。 下重: そのお気持ちはわかる気がする。がんの告知はされたんですか。 秋吉: それが、できなかったんです。信頼する担当のお医者さまが、「僕は患者さんを怯えさせずに告知できます。ご本人の気持ちを落ち着かせ、じょうずに話せて、いつも成功しています」そう話してくださってお任せしたのだけど、ドクターに告知をする隙を与えなかった。百戦錬磨の先生よりも、母のほうが手練だったというわけです。 それでいて、私が病室に付き添う晩だけ、こんなことを聞くの。 「私の病気は重いの?」 「病名はなんなの?」 「このあとどうなるの?」 さらにこんなことも──。「死んだら、身体は焼かれてしまうんでしょ?私はこの世から消えてなくなるの?」私のほうが母親で、幼い娘から質問されているような気持ちになりました。 下重: 重荷を背負ったのね。 秋吉: 子どもの頃から、家族のなかで私が“命の最後”を引き受けてきたように感じます。うちで飼っていたスズメや金魚が死んだ時も、私がお墓をつくってお弔いしました。 父が死んだ時も同様です。自分はそういう役割を与えられた存在なのだと思っていた。でも、母の臨終では上手にできなかったんです。私は、母が理想とする娘ではなかったのかもしれません。 女優の秋吉久美子、という公的なイメージ上の存在ではなく、自分がよく知る等身大の「久美子」ならば、自分の最期をしっかりと引き受けてくれるはず──。そんな母の期待に、私は応えることができなかった。 母の死を前に、私はまるで自分の子どもを葬(おく)るかのような気持ちになりました。 秋吉久美子 1954年生まれ。1972年、映画『旅の重さ』でデビュー後、『赤ちょうちん』『異人たちとの夏』『深い河』など出演作多数。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修了。 下重暁子 1936年生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。民放キャスターを経て文筆業に。著書に『家族という病』『極上の孤独』など多数。
秋吉久美子,下重暁子