東海道新幹線50年「技術編」 未知の新技術は使われなかった「0系」開発
東海道新幹線は今年10月1日に開業50周年を迎えます。新幹線最初の車両である0系は、不可能と言われていた時速200キロメートルでの運転を実現して、鉄道業界に革命を起こしました。時速200キロメートル運転を可能にするのに、どんな技術が盛り込まれたのでしょうか。
「新技術を用いない」コンセプト
2015年3月に金沢駅まで延伸開業することが発表された北陸新幹線は、主にE7系とW7系という新型新幹線車両で運行されることになっています。E7系・W7系はほぼ同じ性能・構造ですが、JR東日本が所有する車両にはEを、JR西日本が所有する車両にはWを冠します。E7系とW7系には最新技術がふんだんに盛り込まれています。 新幹線がお目見えしてから50年。最新のE7系・W7系と比べると見劣りしますが、最初の車両となった0系に、当時の国民は未来の乗り物であることを感じていました。しかし、内実は違いました。0系は「未知の新技術を用いないこと」をコンセプトにして開発されていたのです。
明治期や戦前にもあった「新幹線」構想
実のところ、夢の超特急ともてはやされた新幹線構想は、明治後期から鉄道関係者の間で浮上していました。 鉄道の線路は2本のレールを1組として構成されています。このレールとレールの幅を軌間(きかん)といい、それまでの日本の鉄道の多くは1067ミリメートル軌間でした。国際標準の軌間は1435ミリメートルです。軌間が狭いと、高速列車を走らせることができません。明治期、政府は軌間を1435ミリメートルに切り替えて高速列車を走らせようとしたのです。 それらの計画は紆余曲折あって実現しませんでした。そして、昭和初期に1435ミリメートル軌間に切り替えて高速列車を走らせる計画が再燃します。 1940年、政府は公式に「新幹線」という言葉を使って、高速鉄道の計画を発表しました。ところが、翌年に太平洋戦争が勃発。鉄道を建設している余裕はなくなり、新幹線計画は幻に終わったのです。 戦後に新幹線計画が持ち上がると、新技術を用いずにこれまで培った技術で車両開発が進められました。そうした背景もあり、「新幹線最初の車両である0系は、驚くような技術は採用されなかった」と0系に厳しい関係者も少なくありません。 それでも0系の功績は決して小さくありません。『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)の著者・近藤正高さんは新幹線0系をこう評します。 「0系の優れている点のひとつはデザインです。最新の新幹線の先頭車両は航空力学を採り入れてどんどん鋭角化していきますが、0系の丸っこいデザインは偉ぶっている印象を与えず、個人的にも一番好きなデザインです」