歴史に名を残した5つの精鋭部隊、どんな装備で戦った? レギオンからコンキスタドールまで
古代ギリシャの重装歩兵、米独立戦争の民兵も
古代ギリシャ都市国家の歩兵、アジアを征服した弓騎兵、米国の独立を勝ち取るために立ち上がった民兵。いつの時代も、故郷や母国、国王、皇帝を守る戦いに兵士たちが招集された。彼らは、その時代特有の戦闘や技術にふさわしい訓練を積み、装備を用意した。その活躍で歴史に名を残した5つの部隊と彼らがもたらした影響を振り返ってみよう。 ギャラリー:歴史に名を残した精鋭部隊5選 画像6点
古代ギリシャのホプリテス
古代ギリシャにおける兵士の多くは、「ホプリテス」と呼ばれる重装歩兵だった。ホプリテスという名は、彼らが使用した木製の盾「ホプロン」に由来する。ホプロンは幅約1メートルもあり、青銅で覆われていた。 戦闘に欠かせない高価な装備を自前で用意しなければならないため、ホプリテスは財産をもつ階級から選ばれた。アテナイのホプリテスは必要に応じて臨時で招集されたが、スパルタのホプリテスは、7歳の時から厳しい訓練を受けたプロの兵士だった。 完全装備の場合は左腕にホプロン、右手には先端に青銅の穂先がついた2メートルほどの槍(やり)を持つ。予備に鉄製の短剣を持ち、兜(かぶと)、胸当て、すね当て(いずれも青銅製)まで装着すると、27キロにも及ぶ重装備だった。通常、ホプリテスは縦8列にぎっしりと並んで「ファランクス」という密集隊形を組み、一丸となって敵を攻撃した。 彼らは、マラトンの戦い、テルモピュライの戦い、ペロポネソス戦争などの重要な戦闘で目覚ましく活躍したが、戦争が進化し、より熟練した軍隊が誕生すると、従来の重装歩兵戦術は次第に影が薄くなった。
古代ローマの軍団兵
ローマ軍団(レギオン)は、共和政ローマとローマ帝国の最盛期(およそ紀元前3世紀から紀元5世紀)にローマ軍の中核となる存在だった。彼らは職業軍人として定期的に給与が支払われ、十分な訓練と支給を受けた。 軍団兵は2メートルの投げ槍と重い剣を携行し、防具として兜、盾、胸当てを装着した。戦いでは横1列ごとに攻撃を仕掛け、槍を投げつけた後に剣を振るって敵に襲いかかった。 敵に対する彼らの残忍さは伝説的だが、軍団内部の欠陥に対しても容赦なかった。「十分の一刑」と呼ばれる処罰では、違反をしたコホルス(歩兵大隊)の10人に1人を死刑にした。 兵士たちは士気が高く有能だった。部隊に同行する工兵は、長く続く道路、要塞、橋の建設に従事し、今日でもその遺跡が残っている。