伝統工芸の世界にダイブ! NHKアナウンサーから伊勢根付職人にライフシフトして見つけた幸せ
江戸時代に印籠や煙草入れ、巾着などを着物の帯に提げる留め具として使われていた根付(ねつけ)。そのなかでも三重県で作られている伊勢根付の職人である梶浦明日香さんの前職はなんと、NHKのアナウンサー。なぜ職人の道へと進む決意をしたのか、そして伝統工芸を取り巻く現状など、梶浦さんに話を聞いてみた。 【もっと写真を見る】
NHKでのアナウンサー時代に、取材を通じてさまざまな伝統工芸に触れたという梶浦明日香さん。やがて、伝統工芸のすばらしさに魅了されると共に、その多くが後継者不足や需要の減少などの理由から絶滅の危機に瀕していることを知る。そんな実情を目の当たりにした梶浦さんは「自分にも何とかできないか」という思いに駆られ、30歳を目前に自ら伊勢根付(いせねつけ)職人の世界へ飛び込む決意をする。現在は職人として活躍するだけでなく、伊勢根付、そして伝統工芸の魅力を広く発信する活動にも熱心な梶浦さん。そんな彼女のライフシフトのストーリーをお届けする。 番組取材で出会った伝統工芸の数々。そして運命に導かれるように根付職人の道へ 子どものころからアナウンサーにあこがれていた梶浦明日香さんは、多くのアナウンサーを輩出した立教大学観光学部に進学。そして、同大学の先輩であり、民放テレビ局出身でフリーアナウンサー第1号として知られる押阪 忍氏の芸能事務所「SOプロモーション」に所属し、学生時代からフリーのアナウンサーとして活動した。大学卒業後にNHKへ入局した梶浦さんは、「東海の技」というコーナーを担当し、キャスターとしてさまざまな職人を自ら取材。そこで伊勢根付に出会った。 「細かな彫刻の妙、作る人と使う人の知恵比べ、使い込むほどに価値が増すという価値観。日本人が大切にしてきた知恵が多く込められていて、知れば知るほどもっと知りたくなりました」 3、4㎝ほどの小さな彫刻である根付は、印籠や巾着などを帯に提げる留め具のこと。江戸時代に大きく栄え、そのなかでも伊勢の国(三重県)で作られるものを伊勢根付という。耳馴染みがない人も多いかもしれないが、大英博物館で漆・浮世絵・刀・根付を〝日本の4大アート〟として紹介するほど、世界では広く知られている存在だそう。「東海の技」の取材で多種多様な伝統工芸に触れたなかでも、梶浦さんはこの伊勢根付に強く惹かれたという。そして、2010年に取材を通じて出会った、当時、国際根付彫刻会会長でもあった中川忠峰氏に弟子入りをすることに。 「伝統工芸の素晴らしさやそこに込められた思いに感銘を受けると共に、このままでは多くの伝統工芸が後継者不足のため失われてしまうと危機感を覚えたんです。特に根付の粋な遊び心、細かな彫りの美しさだけでなく、〝一生現役・一生成長〟という職人の生き方、仲間と助け合い自然と共に暮らす師匠の生き方にあこがれを抱いて。最初は体験の延長のような形で頻繁に通っていたのですが、そのうちに、師匠から『お前、本気でやる気があるのか?』と聞かれ、『はい』と答えたところ、弟子入りという形となりました」 NHKのアナウンサーという華やかな世界を捨て、職人の道へ進むことに迷いはなかったのか?という問いに、きっぱり「ありませんでした」と答える梶浦さん。では、家族や友人など周囲の反応はどうだったのだろうか。 「そもそも、家族はアナウンサーになるという時点で無理だと反対していたので、それを押し切ってアナウンサーになった私には、もう『好きにしたらいい』という反応でした。友人は、当時は特に何も言うことなく応援してくれていたと思っていたのですが、最近になって親友から、『職人になると聞いた時は頭がおかしくなったと思ってた』と打ち明けられました(笑)」 意気揚々と飛び込んだ伊勢根付職人の世界だったが、工芸などに触れた経験がなかった梶浦さんは大変なことも多かったそうで。 「絵を習ったわけでも工具の知識があったわけでもなく、まったくものづくりの経験がなかったので最初が一番苦労しました。長時間じっとあぐらで座ること、刃物を使うことすらままならなくて、ケガばかりしていて。趣味で根付を作っている人よりスピードが遅く、向いていないのかもと心折れそうになるばかりの模索の日々で。結局、刃物がある程度自由に使えるようになるまで1年ほどかかりました。そこからようやく作品が作れるようになったという感じです。初めて、お客様に販売できる形の作品、栗が作れるようになったのは、修業から1年半後のことでした」 根付制作の修業には一般的に10年ほどはかかるという。技術だけで言えばそこまで時間はかけずとも習得できるが、ただ根付を制作するだけでなく、客の望むもの、自分ならではの作品を模索し、独り立ちできるようになるには時間を要するというのだ。 「修業を始めて7、8年経ったころから、師匠に『そろそろ独立だな』と言われていたのですが、『見捨てないで~!』と、甘えて師匠の元に通っていました(笑)。しかし、9年半通ったころ、夫の転勤でいよいよ通えない状況になり、独立させてもらうことに。ひと通り自分でできるつもりでいましたが、独立してみると頼ってばかりだった現実、そして自分の未熟さを強く知り。まだまだ一人前とは言えないなと、自分の実力のなさを痛感しました」 日本の宝である伝統工芸、職人仕事がもっと多くの人に届くように発信 独立をした現在は、個人事業主として伊勢根付の制作・販売をしている梶浦さん。ほかにもメディア取材での出演料や、伝統工芸に関する講演、ワークショップなどでも収入を得られている。しかしながら一般的に、修業中は根付制作一本で生計を立てるのは難しいという。 「修業を始めた当時すでに結婚をしていたので、全く収入がない日々も生きてはいけましたがある程度、自分の作品が制作できても、多くの職人はそれだけで生計を立てるのは難しいのが現状です。私の場合、たまたまご縁に恵まれて、初期のころから気に入って買ってくださるお客様がいらっしゃったので、今は最低限の暮らしができる程度の収入はあります」 そういった状況でも梶浦さんが職人を志した15年前とは伝統工芸へのイメージも大きく変化。後継者になりたい人が増えており、伊勢根付の世界でも専業の職人4人に加え、兼業や修業中の職人が12~3人ほどいるという。それでも需要の落ち込みが大きく、収入面で後継者になりたくてもなれないのという現実も。梶浦さんはその現状を変えようと、講演活動やワークショップなど、これまで職人が苦手としてきた人との関わりや、発信を積極的にしている。 「私は伝統工芸を未来に残したいんです。伝統工芸、職人文化は日本の宝だと思って、この世界に入りました。そのためには、自分だけではだめで、一つの工芸だけでもだめで、さまざまな工芸の次世代の職人が輝く必要があるんです」 そんな梶浦さんには、2つの若手職人グループを束ねるリーダーとしての顔を持つ。三重県の若手職人全員に声をかけ、2012年に結成した「常若(とこわか)」は、主に県内でワークショップなどの活動を行っている。2017年には東海3県の若手女性職人に声がけをし、尾張七宝、美濃和紙、有松鳴海絞、伊勢一刀彫、漆、伊賀組紐、伊勢型紙、豊橋筆、そして伊勢根付の9人から成る「凛九(りんく)」を結成した。 「『凛九』では日本橋三越での展示販売から、斎宮歴史博物館での斎王にまつわる展示、海外巡回展にネットでの配信まで、さまざまな角度からこれまで日本の伝統工芸に興味のなかった人にも届くよう活動しています。私はほかの職人と違い、芸術や工芸などを学んでこの世界に入ったわけではないけれど、その分ほかの人とコミュニケーションをとったり、交渉したり、提案したりするのが好きだし、得意。そのお互いの違いを補い合えたら、もっとずっとおもしろいことができるはずと思うんです」 職人としての自分だけでなく、伝統工芸を取り巻く状況も変えたいと日々奮闘する梶浦さん。「たくさんの縁に恵まれ、たくさんの人に手を差し伸べてもらい、今があるんだ」と、伝統工芸の世界に飛び込んでから現在までを振り返る。 「導かれるかのように、ここぞという時に手を差し伸べてもらって、ああ、これが私の〝使命・宿命〟なんだなと感じています。誰かに寄り添える作品を制作させてもらえること、自分の時間を自分でコントロールできること、自分の行動が誰かの役に立つこと、歴史の中で守られてきた工芸という文化を担えること。職人になってよかったなぁと思えることでいっぱいです」 アナウンサーから伊勢根付職人に転身し、さらに輝きを増し続ける梶浦さんに、これからライフシフトをしたいという同年代の女性に向けてメッセージをもらった。 「何をやっても不安はあります。時代の変化もあるし、生きるステージの変化もあるから。その中で、自分が選んだものを正解にするしかないんです。今のままでは正解ではないと思うのであればチャレンジするべきだし、そのままの生き方も悪くないと思うのであれば、今ある日々を目いっぱい楽しむ。それもまた素敵な生き方なのではないでしょうか。すべては自分次第です。私が身を置いている職人の世界に限って言えば、この生き方を選んだなら、恥ずかしいとかみっともないとか、周りの人にどう思われるかとか、そんなことに配慮している余裕なんてありません。やれることはなんだってやらなきゃいけない。動かなかったら売れずに忘れ去られてしまいます。それでも、自分で考え行動し、自分が信じたものを『こんなに素敵でしょう?』と誇って生きられるのは、最高に幸せです」 文● 杉山幸恵