碁で勝ちすぎて斬り殺される→飼い猫が「化け猫」になって仇討ち!? 「鍋島化け猫騒動」とは
龍造寺氏の若者・又一郎が、主君・鍋島光茂に碁で連勝した結果、斬り殺されてしまった。その恨みを晴らさんと、龍造寺氏の飼い猫が化け猫に豹変。主家へと成り上がった鍋島氏に祟り出たのである。佐賀藩に伝わる「鍋島化け猫騒動」だが、実は、史実としての龍造寺氏と鍋島氏によるお家騒動にもとづくものであった。その経緯とはいったい? ■歳をとった猫が化け猫になるって、本当? 昔は、「飼い猫も、歳をとると人を食う」と、まことしやかに言われたようである。もちろん、あるはずもないが、江戸時代の朱子学者・新井白石までもがそう言いのけたというから、当時の人は、半ば本気で信じていたのかもしれない。 そればかりか、遊郭の遊女が深夜になると化け猫に姿を変えるという「化猫遊女」や、山に迷い込んだ人を食うと恐れられた「猫又」など、猫の姿をした妖怪話も少なくなかった。今も富山県黒部市などに、「猫又山」や「猫又駅」として猫又の名が残されているのも、意味ありげだ。 この化け猫にまつわる数々の伝承の中でも気になるのが、佐賀県に伝わる「鍋島化け猫騒動」である。ただし、これは単なる妖怪話ではない。実は史実にもとづいているのだ。 ともあれ、まずは物語としての「鍋島化け猫騒動」から見ていくことにしよう。 ■碁で勝ちすぎて藩主に切り殺された龍造寺又一郎 戦国の世も過ぎた17世紀、佐賀(鍋島)藩2代藩主・鍋島光茂が統治していた時代のことである。その家臣として仕えていた龍造寺又一郎(又七郎とも)という盲目の若者が、藩主相手に碁を打っていた時のことであった。 龍造寺氏といえば、元は鍋島氏の主家筋にあたる一族であったものの、故あって主家と臣下が逆転。今や落ちぶれて、かつての臣下の風下に置かれ、細々と命脈を繋いでいた。 しかしこの若者、碁の腕前は藩主よりも上で、何度対戦しても藩主を打ち負かした。かつては、我が一族こそが藩主であったとの自負も捨てきれなかったのだろう。どうしても負けられないと、意地を張っていたのかもしれない。 ところが、負けが立て込んでくるや、藩主が逆上。怒りの余り、とうとう刀をつかみ、その場で又一郎を切り殺してしまったというから大変。しばらくして我に返った光茂は、居合わせた家臣の小森半左衛門と共謀して、死体を古井戸に隠してしまったのである。 ■飼い猫が、息子の生首をくわえてきた その晩、又一郎の母・お政は息子の帰りを待ちわびていた。一向に戻らぬことで不安になって、かの小森に問い合わせてみたものの、知らぬ存ぜぬの一点張り。 不審に思いながらも、なんの手立てもできぬまま、時が流れてしまった。その寂しさと不安を紛らせるかのように、飼い猫「こま」に語りかけたことを契機として、とんでもない事件が巻き起こってしまうのである。 この「こま」が、ふっとどこかへ出かけていなくなってしまった。しばらくして、どこからか猫の鳴き声に気が付いて振り向くお政。その目に飛び込んできたのが、血だらけの生首であった。「こま」が、行方不明になっていた息子の生首を咥えて戻ってきたのである。 ■「こま」が化け猫となり、妾を殺して成り代わった ここで全てを悟ったお政。息子が藩主に殺されたことことを察して驚愕するも、もはや成す術もなかった。藩主を呪いながら、自ら胸に刃を突き刺して命を絶ってしまったのだ。それでも死の間際に恨みを込めて、「こま」に向かって必死の形相で叫んだ。 「私の血を啜って、息子の恨みを晴らしておくれ!」。苦しみながらも、そう言い残して絶命したのである。そのお政の身体から流れる血を「こま」が舐めるや、らんらんと目をギラつかせた化け猫となって、いずこかへといなくなってしまった。 その後、藩主・光茂の身に異変が起きた。夜毎幻覚に襲われ、半狂乱になって、挙句寝込んでしまったのだ。この光茂には、お豊の方という愛妾がいたが、どういう訳か、この頃より彼女が近づくほどに、容態が悪化したという。お察しの通り、化け猫と化した「こま」が、お豊の方を殺して彼女に成り代わっていたのである。 この異変に気が付いた家来の半左衛門が、真相を確かめんと、深夜密かに庭に潜み、お豊の方が行燈の油を舐めるのを目の当たりにして仰天。障子に映った彼女の影が猫の姿をしていたところから、化け猫の仕業であると見抜き、即座に屋形内に飛び込んで、お豊の方を斬りつけた。 口は耳まで裂けて目を爛々と輝かせて正体を現した化け猫。これにトドメを刺して、藩主・光茂の危機を救ったという。光茂はいうまでもなく、鍋島氏にとっても、めでたしめでたしというお話であった。 確かに、難を逃れた鍋島光茂にとっては、自らに危害を加えようとしていた化け猫を退治できたのだからおめでたいお話であったに違いないが、この化け猫に恨みを晴らさんと猫にさえすがろうとしたお政はもとより、再興を願っていた龍造寺氏にとってみれば、おめでたいどころか、再興の夢も絶たれた不運な出来事であった。死んでも死に切れぬ思いだったに違いない。 「こま」もまた、飼い主に代わって仇を討たんとしたものの、無残にも斬り殺されてしまった訳だから、無念だったに違いない。なんとも後味の悪い物語であった。 以上が物語としての「鍋島化け猫騒動」であるが、前述のとおりこれは史実の「鍋島騒動」がもとになっている。どのような騒動だったのか、目を向けてみよう。