「つながる人、思い、物語」『いつかの朔日』 村木 嵐インタビュー
ついしてしまう“拾い物”
――語り手を務める家臣たちは、家康が天下人になるという夢が叶うのを見る前にほぼ亡くなったり代替わりしたりします。そんななか、すべての話に出てくるのが、鳥居忠吉の首巻です。 村木 つながっているっていうことを象徴したかったんです。第一話の清康の死のときから忠吉が首に巻いていた首巻を、最終話ではあの人物が持っていく。なぜ首巻かというと、きっと昔は寒かったろうなと思っただけなんですが。 ――語り手の家臣も首巻も代替わりしながらずっと家康の側にいるというのが、実に象徴的でした。想いを託される象徴として、人から人に首巻が渡っていくところにも感動します。 この首巻が話と話をつなげる短いパスだとするなら、第一話「宝の子」と最終話「雲のあわい」をつなげるロングパスもあります。第一話の語り手は、家康の祖父・松平清康を暗殺した阿部弥七郎 ( あべやしちろうの父・阿部大蔵 ( おおくらです。大蔵は嫡男が主君を殺しておいて自分が幸せになってはいけないと、妻の腹にいる子を殺そうとします。このとき大蔵の妻が身籠 ( みごもっていたというのは村木さんの創作ですか? 村木 いや、完全に創作というわけではないです。史料にそれらしき人物が出てくるんですよ。徳川家臣団のなかに阿部大蔵の息子であろうと言われている人がいたという……。確証はないですし、その内容も史料によってかなり違うんですが。旅籠 ( はたご屋になったなんて噂もちょっとだけあって、その設定を使って書いたのが、『にべ屋往来記』です。 ――なるほど! このときの子が後に……という、最終話へのロングパスになるわけですが、実は私、途中から出てきたある人物が大蔵の息子じゃないかと予想してたんです。三方ヶ原 ( みかたがはらの戦いを描いた第七話「七分勝ち」から出てきた、あの人……。 村木 ああ……いや、そういうつもりはなかったですね。年齢も合わないでしょう。その人物も大蔵の息子とは別に、実際に史料に名前があるんです。ただ、史料や伝承はモノによってぜんぜん違っていたりするし、本当のところはわからないので、彼が息子だったということにしてもよかったかもしれませんが……。 ――うわあ、深読みしすぎた。もうひとつロングパスということで言うと、「朔日」がありますよね。その月の最初の日、一日という意味ですが、これもまた最終話まで読むとすごい巡り合わせというか……ちょっと震えました。 村木 まず家康が江戸城に入ったのが八月一日で、家康がこの八朔 ( はっさくの日をとても大事にしているんですね。その「一日」という日付が偶然にも重なっていく。伏見城の一件は、すごい奇跡だと思います。そういう奇跡のようなエピソードがいろいろあって、鳥居親子を中心に順に書いていったら徳川の覇道になってしまったという感じです。 ――今回のように、一話ごとに別の視点人物が語るという構成は女性の視点で武田 ( たけだを描いた『天下取』と同じですし、『まいまいつぶろ』と『御庭番耳目抄』と『またうど』も視点人物を変えながら話がつながっていきます。こういう、複数の視点から物事を描くという構造がお得意なんでしょうか。 村木 そういうわけではなくて、小説をひとつ書いていると、そこで拾い物をするんです。たとえば『まいまいつぶろ』も、『頂上至極』(家重 ( いえしげの時代に薩摩藩に課せられた木曽三川の治水工事を描いた作品)を書いているときに家重について調べて思いついたものです。あと、『まいまいつぶろ』で松平乗邑 ( のりさとっていう老中をすっごく悪い人物に書いてしまったんですけど、本当はとても立派な人なので悪いことしたなという引っ掛かりがずっとあったんですよ。それを『御庭番耳目抄』で解消したり。同時に、『まいまいつぶろ』を書きながら、田沼意次 ( たぬまおきつぐを主役にした『またうど』の構想もできていって……。 ひとつの時代を調べていると、これ何だ、これ面白そう、という感じで次を拾っちゃうんです。視点を変えて同じものを書くのではなく、ひとつ書くとそこからどんどん広がって、つながっていってしまうというか……。きりがないので、これは自分のなかでも課題というか、どうにかしなくちゃいけないと思っているんですけど。